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【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(1)】 6月6日Dデイに向けて・・・『オーバーロード』作戦の立案と概要編 〈3JKI07〉

N作戦151RMjE8oomLあれから70年が経った。戦史ファンならばご存知の、世界で“いちばん長い日”といわれた、その日からである。

そこで本日、2014年6月6日にちなんで、以後数回に分けて第二次世界大戦で連合軍の欧州大陸反攻作戦の焦点となった、ノルマンディー上陸作戦の概況を准将さんの協力を得て語ろうと思う。

 

初回は、連合軍の欧州西部への進攻作戦である『オーバーロード』作戦(Operation Overlord)の立案と概要について述べたい。

さて欧州戦線では、1941年6月の独ソ開戦以来、独軍勢力のほとんどが東方のソ連に向けられていた。ソ連の最高指導者スターリンはこの危機的な状況を打開する為、英国や米国に対して欧州地域に第二戦線を構築することを強く要望していた。

米軍は1942年の段階で、北フランスに上陸する進攻作戦を二つ検討しており、ひとつは本格的な対独反攻の『ラウンドアップ』作戦。もう一つは欧州東部戦線への牽制的な意味合いの『スレッジハンマー』作戦だった。 しかし結局は、中東・インド・東南アジアの領土へと通じる地中海ルートの安定を重視する英国の希望で、1942年11月には北アフリカへ上陸進攻する『ジムナスト(後にトーチに改称)』作戦を先行実施させたのだった。

連合軍の欧州大陸西部に対する本格的な進攻作戦は、1943年5月にワシントンで開催された米英軍事会議(暗号名トライデント)で、『ラウンドアップ』作戦として1944年5月1日には実施されることが同意されていた。

1943年8月にカンダのケベックで開催された米英首脳会議で、当時の連合軍最高司令部参謀長(COSSAC)の英陸軍フレデリック・E・モーガン中将が報告した欧州西部地区への大陸進攻作戦の概略は、未だ正式なものではなかったが既に『ラウンドアップ』ではなく『オーバーロード(大君主)』作戦と名付けられていた。と同時に、その上陸作戦に関する部分は『ネプチューン』作戦と命名された。作戦の開始日時は1944年5月1日に設定されており、愁眉の上陸地点はフランス・ノルマンディー地方のカーン付近の海岸で、英仏海峡が最も狭くなっているパ・ド・カレー近辺ではないことが、意外であった。

そして、遂に同じ連合国のソ連の再三の第二戦線構築の要請を受けて、1943年11月~12月のテヘラン会談で翌年5月1日の北フランスへの上陸作戦とそれに続く対独攻勢 が正式に決定された。全体の作戦名も正式に『オーバーロード』作戦とされた。

 

さて上陸地点の選択についてであるが、制空権の確保が絶対条件である中、英国本土の航空基地からの連合軍戦闘機の航続距離が上陸地点の選択を大きく制限した。その為、概ね上陸地点はパ・ド・カレーとノルマンディーの2地点に絞り込まれたが、パ・ド・カレーは英国本土から最短の距離にあり上陸地点として最適だったが、当然ながら独軍側もパ・ド・カレーへの上陸作戦を警戒しており、兵力を重点配備したり、その防御陣地が強力だった為に、検討の結果、連合軍は上陸地点にカーン周辺からその西側のノルマンディー海岸を選んだという。

現実にはノルマンディーについて、独軍は連合軍の上陸を予想していなかったので弱兵主体で布陣も薄く、戦略的にはドイツ側の防御を混乱させ分散させることに繋がった。

もともとこの作戦計画の第一段階は、全体の予備段階ともいえ、全欧州の独軍の戦闘機兵力を弱体化させることを目的に戦闘機組立工場や部品工場等を爆撃し、併せてドイツの基本的な軍事力や経済の仕組みを崩壊させるものであった。つまり言い換えれば、所謂(いわゆる)「戦略爆撃」であり、ドイツという国の戦意を根本から挫くことを意図していた。

次の段階が、上陸対象地域の主要な交通の要所であるカーンを作戦対象とした独空軍の航空基地を攻撃し、また同様に兵力を急派出来ない様に、カーン等へ繋がる道路網や鉄道網へ重点的に爆撃を敢行した。これは「戦略的な阻止攻撃」であったといえよう。

この後が、いよいよ具体的な進攻作戦の始動であり、上陸作戦の開始であった。上陸初日(Dデイ)には歩兵3個師団と空挺部隊がカーン付近を占領し、以降、Dデイ+9日で追加の9個師団が揚陸を完了するというものであった。

その後、上陸部隊はカーン南東を攻略し海岸堡を拡大するとともに、Dデイ+14日までには西方の港湾都市シェルブールを占拠して追加兵力を18個師団までに増強するとした。

作戦の最終段階は、撤退する独軍を追撃して、内陸のオルレアン、トゥール、ナントを攻撃占領しながら、併せて港湾施設の充実しているブレストやロリアン、サン・ナゼール等を確保する。そして兵站を万全とした後、30個師団の大兵力でパリ方面への進撃を開始するというものだった。

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