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【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(5)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦当日・前編 〈3JKI07〉

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アイゼンハワー将軍と空挺部隊兵士たち

昨年(2014年)6月6日から開始した【ノルマンディー上陸作戦70周年記念】のシリーズも、1年がかりでようやく上陸作戦の当日まで辿り着いた。

いよいよ今回からは、Dデーその日の状況を伝える。先ずは空挺たちの闘いから・・・。

 

 

上陸作戦当日は、前夜から活動していた空挺部隊が先陣を切って戦闘に突入した。

先ずは米軍であるが、彼らの作戦は、独軍が「ユタ」海岸へ上陸直後の米軍へ反撃することを阻止するとともに、上陸後の米軍地上部隊が内陸へ進撃する為の通路の安全確保を目的としていた。

日付が6日に変わる頃には、一路、米軍上陸対象地域の前面深部と西側面にあたる目標地点に向かって飛行していた米軍第82空挺師団(オールアメリカン)と同第101空挺師団(スクリーミング・イーグルス)の大量のグライダーや輸送機が、漆黒のノルマンデー上空に到達していた。(第82空挺師団の作戦を「デトロイト作戦」、第101空挺師団の作戦を「シカゴ作戦」と呼んだ)

そして両師団の先導降下隊員(パスファインダー)たちの大多数は、深夜0時ないし0時15分(01:15時)頃から降下を開始した。

 

しかし、後続の本隊を誘導する役割を帯びたパスファインダーたちが、本来の目標地点から遠く離れた場所に飛び降りることになったのが、その後の混乱を拡大させていく原因となる。

強い風に流されただけではなく、独軍高射砲の弾幕が予想以上に強力だった為に、経験の浅い多くの輸送機パイロットが当初の航路を外れて飛行する羽目になったのだ。

その結果、目標地点から離れた場所で機外に飛び出したパスファインダーは、本隊到着までの1時間という限られた時間で自分の割り当て地点に到着しようと必死に行動していたが、それは事前に訓練で記憶した地形や道路とは異なる場所での移動となっていた。また彼らは独軍との遭遇を可能な限り回避する必要もあった為、その移動は重装備と相まって大変な困難を強いられていた。

パスファインダーの中には、フランス人の家屋の庭に降着した運の良い者もいたが、独軍の兵舎の正面に降り立った者や、高い木の枝に引っかかったりして行動不能となった者、もっと悪いことに沼地に落ちて溺死した者もいた。もっとも、この様な災難は後続の空挺部隊員全般に見られた不幸ではあったが。とにかく、この様な混乱により120名のパスファインダーの内、わずか38名しか、本来の目標地点に予定時間までに到達出来なかった。

 

こうして先導降下隊員や一部の先遣隊が悪戦苦闘をしている内に、両師団の主力部隊が降下を開始する時間、すなわち1時15分(01:15時)頃が近づいてきた。そして彼らは部隊毎に決められていた鬨の声を上げながら機外に飛び出していったのだ。(降下時の掛け声には、第82空挺師団では「ジェロニモ」、第101空挺師団では、病に倒れた前師団長を偲んで「ビル・リー」、同師団の第506パラシュート(落下傘歩兵)連隊の場合は駐屯地近郊の地名から「カラヒー」などが知られている)

しかしこの夜は、特に風が強く多くの輸送機が正しい降下目標地点を見い出せなかった。また前述のような状況な中、先導降下隊員からの正しい誘導も得られず、グライダーも機外に飛び出した落下傘兵も、強風に流されて散り散りに広範囲に分散着地してしまう。

そして、メルドレ川とドゥーヴ川一帯の低湿地が独軍の手で冠水されて天然の要害となっていたことで、ここに降着した多数の落下傘兵が溺死したり、グライダーが水没して貴重な軽車両や重火器、各種資材などが失われた。(降下のタイミングが遅くなり、海岸の地雷原に降り立ち身動きが取れなくなった者や海上に落下して溺死した者さえいた)

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