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【江戸時代を学ぶ】 時間の概念と時刻の呼び方 〈25JKI00〉

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戸時代を舞台にした小説や時代劇を楽しむ上で、三つの基礎知識を知ることでその内容が良く理解出来るとされているのだが、この記事ではその一つ、「時刻の呼び方」について解説する。



三つの基礎知識の、先ず最初は「時間の概念と時刻の呼び方」である。

江戸時代の時間の概念:不定時法・・・

現在は定時法(1873年/明治6年以降に採用)といって、1日を24時間に分け、また各々の時間の間隔も季節等に関わらず一定となっている時間法を使用しているが、江戸時代までの我国では、時間の概念には現代とは異なる不定時法が使われていた。

不定時法とは、日の出から日没までの時間を6等分、日没から次の日の出までを同様に6等分とし、1日を合計12の時間帯に分ける時間法である。

またこの等分された約2時間の時間帯を「一刻(いっとき)」と呼んだが、不定時法では、夏季の昼間より冬季の昼間は短くなり、その分けられた時間帯(一刻)の間隔も変化した。

夏至の頃の昼間の一刻は約2時間38分もあるのに対し、冬至の頃は約1時間50分しかないのだ。また逆に夏至の夜の一刻の長さは1時間21分だが、冬至の頃の夜は2時間10分と長い。

因みに、現代の約1時間に当たる一刻の半分は「半刻(はんとき)」、更にその半分(一刻の1/4)の約30分は「四半刻(しはんとき)」といわれた。

不定時法は、日の出とともに活動を開始し日没以降は主に寝るという昔の生活に根ざした時間法と言えるが、上記の様に季節により昼夜の長さが変動し区分けした時間(一刻)の長さも変わってしまう。

現代人からみると不便な様だが、電気(照明)の無い当時の人々にとっては日の在るうちが昼で、日が暮れてしまえば夜とすることは極めて自然であり、生活のサイクルとして馴染み易かったのであろう。

 

江戸時代の時刻の呼び方・・・

江戸時代の時刻の呼び方には大きく二つあって、初期の頃が「丑(うし)の刻」や「午(うま)の刻」などの十二時辰/辰刻法であり、中期以降が「七つ」「八つ」などの時鐘/数読み法である。但し一部の文献には、主に武家社会では十二時辰/辰刻法、庶民の間では時鐘/数読み法が用いられたとある。

 

十二時辰/辰刻法とは・・・

暦や方位などと同様に、数字ではなく十二支が時刻に当てはめられていたのが十二時辰/十二辰刻法である。

これは、太陽の動きと時間を連動して計るには、その(太陽の)位置する方角で表すのが便利であり、誰にでも理解し易い方法だったからだと考えられている。

前述の通り、日の出と日没の時刻は季により変動し、また一刻(約2時間)を初刻(一刻の始め)と正刻(一刻の真ん中時点)に分けていた。日の出は「卯の正刻」、日没は「酉の正刻」となる。(この様に一刻を二分割するのが時辰法であり、またこの方法は明治期以降に西洋の24時間制に合わせる為に採用されたとの一部の説もあるが、平安時代の宣明暦が既にこの方法とされている)

今でも昼の12時を正午と言うのは「午の正刻」のことであり、午の刻は現在の午前11時から午後1時までの約2時間であり、現代の「午前」、「午後」という表現もここからきているとされる。

また一刻を、約40分間隔の三つに分ける方法もある。子の刻ならそれぞれを「子の上刻」「子の中刻」「子の下刻」と呼ぶ。但し、それぞれは時間帯のことではなく各辰刻(一刻)の始まりと中間点、そして最後のことである。即ち、上刻は初刻、中刻は正刻、下刻は次の初刻のことだとの説もある様だ。(この方法は夜間の時間帯のみに適用されたとの説もある)

更に、30分毎に4等分して分ける方法もある。丑の刻ならそれぞれを「丑一つ」「丑二つ」「丑三つ」「丑四つ」とする。「草木も眠る丑三つ時(刻)」で知られる「丑三つ」は、不定時法のため季節により多少変動するが、現在の午前2時から2時30分までの約30分間である。(一刻を3もしくは4分割するのが辰刻法とする説あり)

↓十二辰刻法 

子(ね)の刻 午後11時~午前1時 午(うま)の刻 午前11時~午後1時
丑(うし)の刻 午前1時~午前3時 未(ひつじ)の刻 午後1時~午後3時
寅(とら)の刻 午前3時~午前5時 申(さる)の刻 午後3時~午後5時
卯(う)の刻 午前5時~午前7時 酉(とり)の刻 午後5時~午後7時
辰(たつ)の刻 午前7時~午前9時 戌(いぬ)の刻 午後7時~午後9時
巳(み)の刻 午前9時~午前11時 亥(い)の刻 午後9時~午後11時

 

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