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キネマ旬報、日本映画の男優・女優ベスト10を発表!! 後/女優編 〈18JKI15〉

キネマ1ダウンロード映画雑誌『キネマ旬報』が創刊95周年を記念して、日本の映画俳優、男優と女優のそれぞれBEST10を11日に発表しましたので、前後編に分けて紹介します。

この機会に是非とも温故知新で、昔の名画に親しんでみては如何でしょうか?

では、後編の女優部門をご覧ください。

 

キネマ旬報社は評論家や映画業界関係者ら181人のアンケートで日本映画の男優・女優ベスト10選出しました。

女優部門のトップは高峰秀子さん、2位が若尾文子さんとなりました。その他のランキングは以下の通り。

 

【女優部門】

高峰171x0yyVhk3L._SL1080_〈1〉高峰秀子 (1924年3月27日~2010年12月28日)

本名は松山秀子、愛称はデコちゃん。 1929年に映画『母』への出演で子役デビュー。戦前は小津安二郎監督の『東京の合唱』(1931年)、山本嘉次郎監督の『綴方教室』(1938年)や『馬』(1941年)、成瀬巳喜男監督の『秀子の車掌さん』(1941年)などが主な出演作で、少女子役として国民的なスターであった。戦後の代表作には『銀座カンカン娘』(1949年)、『カルメン故郷に帰る』(1951年)、『二十四の瞳』 (1954年)、『浮雲』(1955年)、『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、『張込み』(1958年)、『女が階段を上がる時』(1960年)、『名もなく貧しく美しく』(1961年)、『華岡青洲の妻』(1967年)など多数がある。戦前は人気子役として活躍し、「子役は大成しない」とのジンクスを破り戦後は大人の名女優となった。常に役作りに注力し、多種多様な役柄を個性的かつ魅力的に演じきった女優である。娘時代には可憐な役柄が多かったが、女優としての後半生は包容力と優しさを兼ね備えた理想の妻像を演じることが多かった。

 

若尾1218GGZ1J44L2〉若尾文子 (1933年11月8日~)

1951年に大映の第5期ニューフェイスとして映画界入り。1952年に『死の町を脱れて』で銀幕デビュー。『十代の性典』(1953年)で人気を集め、『祇園囃子』(1953年)で人気女優としての地位を確立した。代表作には『赤線地帯』(1956年)、『浮草』(1959年)、『女は二度生まれる』(1961年)、『妻は告白する』(1961年)、『雁の寺』(1962年)、『卍』(1964年)、『清作の妻』(1965年)、『不信のとき』(1968年)など多数ある。1971年(大映倒産)以降はテレビや舞台での活躍が増えた。娼婦から貞淑な妻まで、相反する立場の人物像を演じきる女優魂は立派の一言だ。和服姿の艶やかな美貌から、海外での人気も高い日本を代表する女優だが、若い人に馴染みがあるのはやはりソフトバンクのTVCMだろうか。また、夫の黒川紀章(故人)は著名な建築家だった。

 

藤純子181ecy0g3nAL._SL1268_〈3〉富司純子 (1945年12月1日~)

当初の芸名は藤純子(ふじじゅんこ)で、本名は寺島純子。夫は七代目尾上菊五郎、長女は女優の寺島しのぶ、長男は五代目尾上菊之助。昭和38年に東映に入り『八州遊侠伝・男の盃』(1963年)で映画デビュー。任侠映画『緋牡丹博徒』シリーズ(1968年~)で主演を務め、爆発的な人気を獲得した。他には『明治侠客伝 三代目襲名』(1965年)や『日本女侠伝』シリーズ(1969年~)、『女渡世人』シリーズ(1971年~)などがある。その後、結婚を機に一時引退するが、1983年にNHKのTVドラマ『勇者は語らず』で女優復帰を果たす。1989年には芸名を富司純子に改名した。以降、『おもちゃ』(1998年)、『フラガール』(2006年)などの映画に出演している。一時引退するまでの彼女は、その寂しげな美貌で不世出の任侠映画ヒロインの座を独占していた。

 

浅丘181Torb9aTHL._SL1500_〈4〉浅丘ルリ子 (1940年7月2日~)

映画デビュー作は、愛くるしい美少女役の『緑はるかに』(1955年)だが、後に日活の看板女優として数多くの作品に出演して大きな人気を得る。特に小林旭の『渡り鳥』や『銀座旋風児』の各リーズ(1959年~)や、石原裕次郎と共演した諸作、『銀座の恋の物語』(1962年)や『憎いあンちくしょう』(1962年)、『赤いハンカチ』(1964年)、そして『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)等々がヒット。その他の代表作としては、『執炎』(1964年)、『愛の渇き』(1967年)など。また『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』(1973年)などの映画『男はつらいよシリーズ』で演じた寅次郎のマドンナ、クラブ歌手の「リリー」役は好評だった。比較的近年の作品では、『四十七人の刺客 』(1994年)、『博士の愛した数式』(2005年)、『ジーン・ワルツ』(2011年)、『デンデラ』(2011年)などがある。大女優でありながら、気さくで面倒見が良い性格でも知られている。ちなみに、前夫は俳優の石坂浩二だ。

 

原節子151UYwKOG5KL〈4〉原節子 (1920年6月17日~)

「永遠の処女」と呼ばれ、戦前から戦後にかけて活動した日本映画黄金時代の代表的女優のひとり。『ためらふ勿れ若人よ』(1935年)で映画デビュー、戦前の主な出演作には『河内山宗俊』(1936年)や『新しき土』(1937年)などがある。戦後の代表作としては、『わが青春に悔なし』(1946年)、『青い山脈』(1949年)、『晩春』(1949年)、『白痴』(1951年)、『麦秋』(1951年)、『めし』(1951年)、『東京物語』(1953年)、『ノンちゃん雲に乗る』(1955年)、『秋日和』(1960年)など多数があるが、特に女優人生の後半では小津安二郎監督の作品での印象が深い。その早い引退(1962年の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』が最後の出演作品)と引退後の完全な隠遁生活(鎌倉の甥のもとで隠遁生活を送っているとされる)の理由は未だに明らかではないが、しかし、生まれ乍らの気高い美貌とその抑制された独特の演技により、女優として一時代を築いたことには変わりはない。

 

山田131+gAcwx+jL〈4〉山田五十鈴 (1917年2月5日~2012年7月9日)

戦前、戦後を通じて活躍した日本映画界を代表する大女優の一人であり、また演劇界の重鎮でもあった。昭和5年(1930年)に日活映画『剣を越えて』でデビューし、その可憐な姿で人気を集める。多くの時代劇映画のヒロインを演じたのち、溝口健二監督の『浪華悲歌』と『祇園の姉妹』(ともに1936年)での映画史に残る名演で女優としての名声を確立した。他の戦前の代表作としては『蛇姫様』(1940年)、『婦系図』(1942年)等がある。戦後は『猫と庄造と二人のをんな』(1956年)、『流れる』(1956年)、『蜘蛛巣城』(1957年)、『東京暮色』(1957年)、『どん底』(1957年)など多数に出演し、優れた演技力を発揮している。1960年代以降は舞台女優としての活動が主体となり、またTVドラマ『必殺シリーズ』への出演も有名だ。2000年(平成12年)に女優としては初めての文化勲章を受章した。

 

岸恵子171l5dE+zC6L._SL1500_〈7〉岸恵子 (1932年8月11日~)

『我が家は楽し』(1951年)で映画デビューした。1953年から1954年にかけての『君の名は』3部作が大ヒットを記録、彼女の演じた主人公の「真知子巻き」(頭をすっぽりと包むストールの巻き方)が大流行し社会的な現象となったほどで、その美しさは原節子と双璧とも言われた。他の代表作には、『本日休診』(1952年)、『旅路』(1953年)、『ハワイの夜』(1953年)、『ここに泉あり』(1955年)、『たけくらべ』(1955年)、『雪国』(1957年)、『おとうと』(1960年)、『怪談』(1965年)、『約束』(1972年)、『細雪』(1983年)など。また近年の作品には、『かあちゃん』(2001年)、『たそがれ清兵衛』(2002年)がある。1956年に日仏合作映画『忘れえぬ慕情』に出演したのが切っ掛けで監督イヴ・シャンピと結婚(のち離婚)、以降、パリに居を構えて活動してきた日本人には珍しい国際派女優でもある。

 

安藤151Cj+nOy7rL〈8〉安藤サクラ (1986年2月18日~)

父親は俳優の奥田瑛二で母親は安藤和津、姉は映画監督の安藤桃子だ。映画デビューは『風の外側』。その後、『かぞくのくに』の演技が高く評価され第86回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を受賞。夫は柄本明の息子で俳優の柄本佑。

 

田中絹代171XNroVU39L._SL1265_〈8〉田中絹代 (1909年11月29日~1977年3月21日)

邦画の黎明期からの大スターであり、日本を代表する大女優。1924年に松竹に入社して『元禄女』(1924年)でデビューを飾る。1927年の『恥しい夢』で人気を得て、その後、小津安二郎監督の『大学は出たけれど』(1929年)に出演。またこの頃、日本初の全編トーキー映画『マダムと女房』(1931年)に主演、以降、『金色夜叉』(1932年)、『伊豆の踊子』(1933年)、『お琴と佐助』 (1935年)など、女優人生の初期は愛らしい声と姿で清純派の人気スターであった。そして上原謙と共演した『愛染かつら』(1938年)は戦前における彼女の空前の大ヒット映画となる。戦後の代表作には、『西鶴一代女』(1952年、ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞)、『雨月物語』(1953年、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞)、『楢山節考』(1958年)、小津監督の『彼岸花』(1958年)、『おとうと』(1960年、カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会表彰を受賞)、『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞)など多くの名作がある。自ら監督業もこなした彼女は、生涯の全てを映画に捧げた稀有な女優であった。

 

夏目151KKvC8ZdtL〈8〉夏目雅子 (1957年12月17日~1985年9月11日)

1977年、カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり「クッキーフェイス」のCMで注目を集め、このCMから夏目雅子を芸名とする。その後、映画『トラック野郎・男一匹桃次郎 』(1977年)に出演、またTVドラマ『西遊記』の三蔵法師役で人気を博した。1982年に主演した『鬼龍院花子の生涯』での台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となる。以降の代表作には、『南極物語』(1983年)、『時代屋の女房』(1983年)、『瀬戸内少年野球団』(1984年)など。急性骨髄性白血病の治療中に肺炎を併発、1985年9月11日に27歳の若さで死去。今や伝説的存在となった美人薄命を地で行く女優であった。尚、夫は作家の伊集院静。

 

 

吉永小百合さんが選ばれていないのはナゼでしょうか? あとは岩下志麻さんとか京マチ子さんなど・・・、個人的には星百合子さんが好きでしたが、結局は枠数が限られているから仕方がないのでしょう。

それから若手女優さんで安藤サクラさんが入選しているのは、よほどの演技力ということなのでしょうネ、素晴らしいことです!!

 

キネマ旬報、日本映画の男優・女優ベスト10を発表!! 前/男優編・・・はこちらから

 

 

 

 

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