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【国鉄昭和五大事故 -3】 洞爺丸事故 (前編) 〈1031JKI51〉

【国鉄昭和五大事故】を紹介するシリーズ第三弾の今回は、『洞爺丸(とうやまる)事故』を取り上げる。

この事故は、1954年(昭和29年)9月26日に青函航路において台風第15号(後に「洞爺丸台風」とも、国際名は「マリー/Marie」)が原因で発生した海難事故である。旧国鉄の青函連絡船であった洞爺丸が沈没して、死者・行方不明者合計が1,155人にも及んだ、我国の海難史上で最大の事故である。

2014年に韓国で起きたセオル号の海難事故も未だに記憶に新しいが、60年以上前の洞爺丸の事故も、数多くの貴重な人命が失われた日本海難史上最大の惨事だったのだ・・・。

また、この記事はやや分量が多いので、前・中・後編の3編形式をとった。そこで本稿(前編)では、当時の洞爺丸の概況と事故の経過を時系列に沿って詳しく伝えたいと思う。

 

洞爺丸103 Toya_Maru

洞爺丸

洞爺丸とは

洞爺丸は、かつて日本国有鉄道(国鉄)が青函航路に就航させていた鉄道連絡船であり、車載客船のことである。また、青函航路とは青森駅と函館駅、もしくは青森港と函館港の間を結ぶ津軽海峡を渡る船舶航路の名称である。

洞爺丸は、1947年(昭和22年)11月21日に青函航路に就航したが、第二次世界大戦で壊滅状態となった青函連絡船事業の復興並びに強化の一環として、当時の運輸省鉄道総局がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部、第二次大戦後、連合国軍が日本占領中に設置した総司令部のこと)の許可を得て建造した車載客船4隻の一番船である。

他の同型船には羊蹄丸、摩周丸、大雪丸があり、これらの4隻を合わせて洞爺丸型と呼ぶ。1950年には日本初のレーダーを装備し、当時最新鋭の貨客船とされた。当然ながら青函トンネルがないこの頃、本州と北海道を結ぶ非常に重要な交通路として、青函航路の鉄道連絡船は重い運行責任を持っていた。

洞爺丸の外観は、舷側に連なる大きな四角い窓と丸みを帯びた甲板室前面のデザインが印象的であり、また塗色的には下部遊歩甲板から上を白、その下を黒とハッキリと塗り分けた効果が大きい。しかし、象徴的な2列に並ぶ大きな4本の煙突が、風圧を受ける面積を増加させる結果となったとの指摘もある。

新造時の仕様・要目
・総トン数3,898.03トン、 ・全長118.7m、 ・垂線間長113.2m、 ・型幅15.85m、 ・型深さ6.80m、 ・満載喫水4.90m、 ・ボイラー乾熱式円缶 6基、 ・主機関三菱神戸式1段減速歯車付衝動反動タービン 2基、 ・最大出力5,455軸馬力、 ・定格出力2,250軸馬力×2、 ・最大速力17.46ノット、 ・航海速力14.5ノット、 ・旅客定員932名、 ・乗組員128名、 ・車両搭載数ワム(二軸貨車)換算18両

 

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