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【国鉄昭和五大事故 -4】 鶴見事故 〈1031JKI51〉

鶴見事故の現場

【国鉄昭和五大事故】の第4回は、鶴見事故について取り上げよう。この事故は、戦後の鉄道事故としては三河島事故と並ぶ最悪のものであり、161名が死亡、120名が重軽傷を負うという目を覆わんばかりの大惨事であった。

またこの事故は、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で発生した死者458名を出した大爆発事故と同じ昭和38年(1963年)11月9日の土曜日に起きた事故であり、その為、後にこの日は「血塗られた土曜日」とか「魔の土曜日」と呼ばれたのだった・・・。

 

事故の状況

鶴見事故(つるみじこ)は、昭和38年(1963年)11月9日の21時51分頃に当時の国鉄・東海道本線鶴見駅~新子安駅間の滝坂不動踏切(神奈川県横浜市鶴見区)付近で発生した、列車脱線多重衝突事故である。

事の発端は、旅客線の京浜東北線と同じく旅客線の横須賀線、そして貨物線の品鶴線の3路線が並走する鶴見駅~新子安駅間の品鶴貨物線を、新鶴見操車場を4分程遅延して発車した佐原発・野洲行き下り2365貨物列車が約60km/hで走行していたことから始まる。

※当時、ガス・水道管事故の影響で貨物列車の遅延が続発していたと云う。

※2365貨物列車は、EF15形電気機関車が貨車45両を牽引していた。

その下り2365貨物列車が、当該の3路線を跨ぐ滝坂不動踏切から鶴見駅方面へ約500m(現在の横浜市鶴見区岸谷1丁目10-21~27付近)の地点に差しかかった時点で、突然、前から43両目(後部から3両目)の俵詰ビール麦を積載した2軸有蓋貨車(ワラ1形・501号車)が進行方向左側を並走している横須賀線上り旅客線側へと脱線して続く2軸有蓋貨車(ポム1形・92号車)と緩急車(ワフ28000形・28088号車)の2両を引きずりながら共々編成から外れて、傍らの架線柱に激突して傾き隣接の横須賀線上り旅客線に倒れ込んでしまった。

国鉄ワラ1形は、昭和37年(1962年)から製作した17t積の有蓋貨車である。国鉄全線で汎用的に使用されたが、昭和62年(1987年)のJR移行までに全車が廃車された。

国鉄ポム1形はワム90000形の派生形で、15 t積みの陶器車。昭和33年(1958年)から昭和40年(1965年)にかけて192両(ポム1 – ポム192)が製造された。

※国鉄ワフ28000形は、昭和19年(1944年)から昭和21年(1946年)にかけて250両が製造された8トン積二軸有蓋緩急貨車である。木製の戦時設計車で、設計上の最高運転速度は65km/h、車軸は12t長軸である。また、緩急車(かんきゅうしゃ)とは、貨物を搭載する車両に車掌や制動手が乗り込む場所を設けてある車両のことで、同様にブレーキ装置が取り付けられていても貨物を積載できない車両は車掌車という。

※当時は、東海道線と横須賀線の分離が行われておらず、いずれも同じ線路を走行していた。両者が分離されるのは、1980年のことである。すなわち、記事上で横須賀線の旅客線として記述している路線は、東海道線の線路でもあると考えて差支えない。

この時、2365貨物列車の前方の42両はそのまま約200mほど進んでから非常制動が作動し線路上で停止した。そこで貨物列車の運転士は急いで運転室を下りると発煙筒を焚いて事故を周囲に知らせようとした。しかしこの発煙筒はどういう訳かごく短時間で消えてしまい、緊急の報には役にたたなかったとされる。

さて、この第一の事故が発生してから間もなく、貨物線との間に横須賀線上り旅客線を挟んだ形の横須賀線下り旅客線を、70系12両編成の東京発・逗子行き下り2113S列車(電車)が走って来た。走行中の当該下り2365貨物列車を追走する形で進行していたこの2113S列車(電車)の運転士は、前方の架線が大きく揺れているのを前照灯の明かりの中に認め、異常事態の発生に気付いて制動(ブレーキ)をかけて速度を落としながら進んでいった。

また、この2113S列車(電車)が走っていた路線は、脱線した貨車3両が倒れ込んだ線路の更に隣の線路であったから、この段階では衝突・大事故となる危険はまだ少なかった。

※70系電車は、中距離の通勤輸送を目的とした3扉セミクロスシート車。昭和26年(1951年)から昭和33年(1958年)にかけて、中間電動車モハ70形、並びに低屋根構造で歯車比の異なるモハ71形や制御車のクハ76形、2等車のサロ46形(後のサロ75形)の4形式、合計282両が製造され、首都圏では横須賀線や中央東線で主に使用された。先頭車両・前面スタイルの特徴は80系(前面2枚窓の「湘南形」)に類似するが、機構面では72系に近い。

だがこの時点で、下り2365貨物列車と下り2113S列車(電車)との間の横須賀線上り旅客線を久里浜発・東京行き70系12両編成の上り2000S列車(電車)が、90km/h前後の高速で進行して来ていた。その時、2000S列車(電車)の運転士はどうやら下り2365貨物列車の事故には気付かなかったか、あるいは気付いていても既に遅かったらしく、脱線して上り横須賀線の進路を支障していた貨車に激突してしまったのである。

鶴見事故の現場

この激突の勢いで、2000S列車(電車)の先頭車両(クハ76039)は横に弾き飛ばされる形となった。そして、隣の下り線を走っていた2113S列車(電車)に横から突っ込んでしまったのだ。

その際、先頭車両は先ず減速していた下り列車の4両目(モハ70079)の側面斜め横方向から衝突して同車両を串刺しにした後、後続車両に押されて横向きになりながら、引き続き下り列車の5両目(クモハ50006)の車体の壁や天井も削り取ってようやく停止した。

その結果、下り列車の4・5両目は車端部を残して全く原形を留めないほどに粉砕・蹂躙され、上り2000S列車(電車)の編成から分離した先頭車両は、大きく破壊されながらも下り5両目に乗り上げた形で下り旅客線の線路とほぼ直角・クロスする状態となってようやく止まった。

鶴見事故の状況図 (貨物列車の前部と各列車の後続車両は省略)

しかし幸いなことに、先頭車両とは衝突と脱線の衝撃で連結が外れてしまった2000S列車(電車)の後続車両は、2両目の車両(モハ70042)が脱線・破損して下り貨物線の線路上へとはみ出し、続く3両目車両も脱線して半分が下り貨物線側へ脱線して停止したが、2両目以降の車両は下り2113S列車(電車)との衝突には巻き込まれずに済む。そして2両目以降の2000S列車(電車)は、大破して下り旅客線上で止まった先頭車両の位置から約30mほど先で停止したのだった。

こうして衝突の憂き目に遭った2000S列車(電車)の先頭車両と2113S列車(電車)の4・5両目の車両は、原形をとどめないほどに破壊された。その為、死傷者の大半が、粉々に破壊されたこれらの車両に集中していたことは言うまでもない。

※2365貨物列車の運転士や2113S列車の運転士は無事だった。2000Sの運転士の状況に関しては、死亡の為に証言等が得られていないが、おそらく上り旅客線の線路を脱線して支障していた貨車を認めて急制動を施したが及ばず、減速中に貨車に衝突してしまったものと推測されるているが、詳細は不明である。その為、既述の発煙筒による緊急信号の効果も不確かである。

この貨物列車の脱線を契機とした列車脱線多重衝突事故により、なんと161名が死亡、更に120名の重軽傷者を出す、前年の三河島事故と共に2年連続の未曾有の大惨事となってしまったのだった。

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