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【武士たちのおもしろ歴史雑学】 名前の呼び方と月代について 〈25JKI39〉

武士にまつわる、おもしろ歴史雑学を二つ程、ご紹介したいと思います・・・。

まず最初の話題は、戦国時代や江戸時代では、「十兵衛」とか「五右衛門」とか呼ばれる武士が多いですよね。実はこの呼び方は、律令制における兵制が起源なんです。

平城京や初期の平安京では、宮中の警備に当たった屈強な兵士を全国の民から集めたのですが、その組織は意外と複雑でした。

まずは近衛府(このえふ)と外衛府(げえふ/がいえふ)があり、更に近衛府は左近衛と右近衛に、外衛府は衛門府(えもんふ)と兵衛府(ひょうえふ)に分かれていました。衛門府には左衛門、右衛門があり、また兵衛府は左兵衛と右兵衛に分かれていたのです。

※近衛府は、765年に授刀衛を再編して置かれた天皇家を直々に警固する令外官のひとつ。責任者は近衛大将(左近衛大将・右近衛大将)である。また次将に中将・少将がいる。

※外衛府は外門や宮殿の外部の警備を担当する部署。765年に設置されたが772年には廃止されて、近衛・中衛・左右兵衛に分割された。

※左右の近衛府と外衛府の四つ衛府を併せて「六衛府」と呼んだ。

ここでの兵役を終えて故郷に帰った兵士たちは、その名誉を讃えられて、都での所属部隊の名前で呼ばれたのです。そしてこれが、武士たちの名前のルーツとなりました。

因みに、男の子の幼名については、生まれた順に、太郎、次郎、三郎としていくことが多かったようですが、これは光孝天皇により始められたものとされ、自分の子供にこの順番で名前を付けたと伝わります。

※光孝(こうこう)天皇は、第58代天皇で830年誕生し887年に崩御。宇多天皇の父帝。

 

さて、もう一つの話題である武士たちのヘアースタイルについてです。

武士といえば丁髷(チョンまげ)姿が目に浮かびますが、その丁髷にする場合は、普通は前頭部から頭頂部にかけてを青々と剃りあげていました。これを月代(さかやき)と言います。

平安時代の末期には既に実施されていたとの記録があり(『玉葉』)、『太平記』などの記述では鎌倉時代末期~室町時代初期には広くこの習慣が広まっていた模様です。但し、当時はまだ戦の時(しかも毛抜きで髪の毛を抜いていたとされる)だけであり、平時は総髪姿でした。その後、戦国時代になると常時、月代を剃るようになったといいます。

※参考 ⇒ 《kijidasu! ミニ》 「チョン髷(マゲ)」のチョンとは?

この月代は、勿論、単なるオシャレの為ではありません。戦いの時に身に着ける兜のせいなのです。梅雨時や夏の暑い時期に兜を被っていると、風通しが悪く猛烈に頭が蒸したそうです。

そこで誰ともなく、頭の髪の毛の前半部分をさっぱりと剃るようにしたのでした。これで頭も蒸れなくなり、多少でも風通しがよくなり、涼しくもなりました。

※中国(満州族)やモンゴル部族の「辮髪」も同様の目的から生まれたとされる。

その習慣が天下泰平の世になっても続いた、という訳なのです。そしてこの習慣は、主を持つ武士たちが、一旦事あれば、いつでも主君の為に出陣するという心構えを表したものなのでした。

ですから逆に、主の無い浪人ものなどは、総髪(そうはつ)にしていたりします。つまり、綺麗に整えた武士の月代は、立派に仕官している証とも言えるのでした。

-終-

 

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