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【三日月ネコの日々是好日記】 日本人の英会話力が低い理由を考えてみた!! 〈1647JKI56〉

ある動画で、アメリカにやって来たイスラエルからの(教養も高く資産も有している)移民に対して、友人の白人アメリカ人が盛んに米語を指導している場面に出くわしました。交通機関に関する類義語の使い方の様でしたが、「こんな程度の言葉の意味も知らないと、普通に暮らしていくことは出来ないぞ!! もっと真剣に学ばなければダメだ!! 早くアメリカに馴染めよ!! 」と結構な勢いで意見していたのを観て驚いたものです。またその白人は続けて「ウチのひい爺さん(曽祖父)もイタリア系の移民で、初めは全然米語が分からなかったらしいけれど、家族を食わしていく為に必死で働くウチに言葉は覚えたって話だぜ。君は金持ちだから、必要性や必死さが足りないのかなぁ。」と宣うのです…。

 

これを観ていて、(話は少し飛躍するけれど)日本人が英会話が上手くならない理由が分かった様な気がしました。

長年にわたり、日本人の大半が学校で何年も英語を習っているのに、ほとんど話せないのはどういう訳なのか? ということが問題になっていますが、やはりそこには切迫した必要性がなければならないのでしょう。

私たちにとって日本国内で暮らしていく分には、日本語だけで充分ですよね。誰もが日本語以上に英語を生活の中心に置こうとは考えていませんし、生活の為に必死で取り組む必要がなければ外国語なんて覚えようとはしないものなのです。

現状、日本では英語を話せなくても普通に立身出世が出来るし、金持ちにもなれます。また有名人として成功も可能です。だから誰もが日本語だけで充分なんですよネ。

特に仕事(学術含む)で必要としている人以外、私たち日本人は英語が苦手なことに過度のコンプレックスを感じていない訳です。

 

また英語教育の方法にも問題がありますよね。当然、「読み書き」だけではなく「会話」の方も上達するべきなのですが、本来は「高度な読み書き」と「自在な会話」とはまったく別の学習を必要とする分野なのでは、と思うのです。大袈裟に言えば、そもそも同じ教科で扱うこと自体に大きな無理があるのかも知れません。

まるで「英語」という同じくくりで、「海外の地理」と「世界の歴史」をどちらも海外のものだからと同じ教科で教えるのと同じかも知れません。本来は「会話」に関しては、体育や音楽、もしくは美術に図画工作などと同じ、実技エリアの教科に分類されなければならないと思われるからです。

日本の英語教育(一部の小と中学校・高校など)では、この区別がはっきりとしておらず、最近ではネイティブの教師による「会話」の授業が取り入れられてきたとは云え、まだまだ少ない時間での授業にとどまり、過去の長い間にわたりこの点が無視されてきたことで、多くの日本人が長い年月をかけて英語を学んでいても、ほとんど「会話」が出来ない状態を現出させたのです。

筆者の経験でも、初めて英語を学び始めた時の中学校の英語の先生は年配のオジサンでしたが、今思い出すとその発音はバリバリの日本語風英語であり、会話力の程度も相当に怪しいものでした。

「会話」は「頭脳」ではなく「身体」で覚えるものなので、どうしても座学ではなく実践と体験がものを言うのですが、ここで最初に戻って考えてみると、誰しもがかなりの必要性にかられないと長時間集中して実戦的な「会話」を体験・学習することは困難なのではないでしょうか。

そもそもの問題は「読み書き」と「喋り」の隔たりに関する理解の無さにあります。「読み書き」は「頭脳」の問題で、一人で部屋に籠もって勉強すれば何とかなる分野とも云えます。しかし「会話」は「身体」の問題です。スポーツと同じで「身体」を使わないと覚えられません。つまり周辺環境の差がその修得にはとても大きく影響するのです。

そもそも他の言語で「話す」ということは「身体」の能力なので、ピアノを弾けるようになるとか、自転車に補助輪なしで乗れるようになるなどと同じで、体験し繰り返して練習しないとダメなのです。大変好きであるとかものすごく必要性を感じていないと、完璧には修得出来るものではないと考えられるのです。

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