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【江戸時代を学ぶ】 関東取締出役(八州廻り)の実像 前編 〈25JKI00〉

今回の【江戸時代を学ぶ】は、前・後編にわたり関東取締出役について触れたい。称を“八州廻りと呼ばれたこの役職・組織は、時代小説やテレビ・映画等の時代劇で御馴染みだが、関八州を担当する今で云えば特別広域機動捜査隊といったところの組織である‥。

 

関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく、かんとうとりしまりでやく)とは、江戸幕府の役職・職名で、勘定奉行の直属の配下として関東代官の手付/手附(てつき)・手代てだい)の中から選任され、文化2年(1805年)に創設・設置されたとされている。

関八州の天領(幕府直轄領のこと、公儀御料とも)のみならず私藩・私領(但し、水戸藩領や川越藩領など一部を除く)を区別なく巡回しては、警察権を行使して治安の取り締まりに当たった。俗に“八州廻り”と呼ばれるが、“八州取締役とも言われた様である。

以後、幕府の関東地方に対する支配政策は状況に応じて変更が加えられていくが、関東取締出役はそれに対応した形での職務活動を展開しながらも幕末期までその存在は続き、事実上、慶応4年頃には消滅・廃止されたと考えられている。

※関八州とは、武蔵、相模、上野、下野、常陸、上総、下総、安房の八国を指す。

 

設置の理由

関東取締出役の直接の設置理由に関しては、各種の所領形態が入り乱れて錯綜していた関東地方の、主に治安維持の強化を目的として創設されたとされる。

※当時の関東地方は、天領(幕府直轄領)・大名領・旗本領、そして寺社領などの支配地域が細切れに錯綜している地域であった。その様子はよく「犬牙錯綜」(けんがさくそう、犬の牙の噛み合わせのように錯綜している)という言葉で表現されていた。

また18世紀の後半から19世紀の初めにかけて、度重なる災害による飢饉(“天明の大飢饉”など)等の結果、関東地方の農村における農民階層の格差・分化は激しくなり、広い土地と大きな富を持つ豪農層が現れる反面、潰れ百姓とか水呑百姓と呼ばれる弱小の貧農層や脆弱・零細な農間余業者、もしくは無宿という、所謂、没落農民が広範に形成されていった。

この没落した貧農の中には、無宿だけではなく博徒・渡世人などと呼ばれて遊民化する者も多く出現、多数の浪人らも加わり彼らはしだいに不穏な反社会勢力・犯罪者集団、もしくはその予備軍を形作っていった。

こうして江戸時代後期においては、関東地方(関八州)の治安は極度に悪化していたものの、既存の代官所組織では主務の徴税業務で手一杯、警察任務に関わる体制も極端に不備であり、天領(幕府直轄領)においてさえも、農民の一揆等への対応はおろか盗賊や無法者を相手にするにも、その都度、江戸や他所からの応援を要請していたと云う。

更に既述の様に、天領(幕府直轄領)や各種私領が互いに入り組み散在していた為に警察権が分断されており、広域的で連携を持った警察活動を行うことが難しい状況にあり、そこはまさしく、犯罪者たちが逃げ込み潜伏するのに格好な立地条件だったのである。

※出役設置の理由としては、博徒などの隆盛によって農民たちが賭場へ誘い込まれ、財産の全てを巻き上げられて仕方なく離村し、この為に田畑が荒れ、結果的に徴税に影響をきたした為、との説も有力である。下記・後述の老中から勘定奉行への達しにも同様のことが記載されている。また無宿が大量に江戸周辺に流入し、様々な凶悪犯罪を犯すようになった為、これを防ぐ目的で無宿の取り締まりに当たったとも云う。

※農間余業とは、江戸時代に農民が通常の耕作活動の合間に行った各種の賃稼ぎや営業行為のこと。当初は自足の為であったが、しだいに生計補充として重視され、中には農業が従で余業のほうが主となる者も多くいた。

※無宿(無宿人)とは、江戸時代において現在の戸籍台帳にあたる宗門人別改帳から外された者で、一定の住居と正業をもたなかった浮浪人のことである。村や町から出て一定期間を経ると、人別帳から名前が除外された。親族から不行跡などを理由に勘当された者や軽犯罪を犯して追放された者もいたが、多くは大飢饉や商業資本主義の発達による農業の破綻等により、農村から逃げ出した極貧の百姓たちだった。

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