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【ウイッチーズ・ファンに贈る】 真実のエース・パイロットとその戦歴 カールスラント&ドイツ空軍編 -1 〈3JKI07〉

島田フミカネとProjekt Kagonishが原作の『ストライクウィッチーズ(STRIKE WITCHES)』 は、角川書店が企画したメディアミックスシリーズの核となる作品であり、周辺コンテンツを含めると多くの作家や制作者によるアニメ・映画・漫画・小説・ゲームなどが多数がある。

→ ストライクウィッチーズの画像

各シリーズの舞台は、地球と似ているが古来より魔力の存在する世界として描かれており、時代背景は地球の20世紀初頭に近く、突如世界中に出現した巨大な異形の敵“ネウロイ”(生物なのか兵器なのかは不明)による世界侵略が進んでいた。これに対して人類は、古代より存在の知られていた魔法が使える少女(魔女=ウイッチ)たちが操縦する、魔力を動力源とした魔導エンジンで駆動される軍用機械装置「ストライカーユニット」を活用して戦いを挑むのだった。尚、この「ストライカーユニット」は航空用の飛行脚型と陸戦用の歩行脚型があり、飛行脚型を使用する機械化航空歩兵のウイッチと歩行脚型を使い陸戦の任に当たるウイッチがいる。

そして本稿では、機械化航空歩兵(ストライクウイッチーズ)の物語に登場するウイッチのモデル(イメージモデルと表現されている)となった実際のエース・パイロットとその乗機について解説を試みるが、数多くのパイロットたちの中で、初回の本稿では帝政カールスラント、つまり史実のドイツ帝国(プロイセン国王をドイツ皇帝に戴く連邦国家、実際には第一次世界大戦の敗北とドイツ革命の勃発により崩壊)をモデルとした国の空軍将兵を紹介する。但し、現実の年代的には第二次世界大戦下での軍人となるので、イメージモデルに当たる軍人たちは史実通りナチス・ドイツ、ドイツ第三帝国の空軍(Luftwaffe)所属の将兵ということになる。また尚、ウイッチに関する記事部分記載の西暦は当該の物語内(劇中)での年号で、現実の西暦とは無関係である。

 

1. ミーナ・ディートリンデ・ヴィル(Minna-Dietlinde Wilcke)中佐

アニメでの声優は田中理恵が担当。劇中の生年月日は1926年3月11日で、物語開始時点の年齢は18歳。身長165cmで血液型はA型、原隊はカールスラント空軍第3戦闘航空団の司令で階級は中佐である。彼女の固有魔法は三次元空間把握能力で、感知系魔法の一種。一定範囲内の敵味方の位置を三次元で把握が可能である。また使い魔は「クラヴァッテ(灰色狼)」となっている。使用する飛行脚は、第1期のBf109G-2から第2期 Bf109K-4。使用する武器はMG42だ。尚、イメージモデルはヴォルフ・ディートリッヒ・ヴィルケ(Obst. Wolf-Dietrich Wilcke)大佐である。

彼女はカールスラント東部のポズナニア出身で、元々は歌手を目指して音楽学校へ進学するつもりであったが、ネウロイの侵攻に際して恋人のクルト・フラッハフェルトと共に軍に参加した。だがパ・ド・カレー撤退戦においてクルトが戦死してしまい、大切な人を喪失する苦悩を体験した。欧州大陸からの撤退後は、ブリタニアのヒューゴ・ダウディング空軍大将などと共に各国のエース・パイロットを集めた第501統合戦闘航空団(501JFW “STRIKE WITCHES”)を編成し、その隊長となる。

通称は“ピーク・アス(スペードのエース)”、愛称は“フュルスティン(女公爵)である。物語の中でのヴィルは、隊長でありながらウィッチとしての戦闘能力も非常に高く、150機以上の撃墜数(2期8話で200機撃墜)を誇るカールスラントのスーパーエースであるが、その物腰は優雅で柔和、普段から笑顔を絶やさない人物である。また柔軟な発想のもとで極力隊員たちの自主的な行動を促している指揮官だが、一旦本気で怒ると誰にでも容赦がなく、部下からは「本当は一番怖い人」と認識されている。更に、自分の部下が犠牲にされる様な理不尽な命令を下す上官に対しては、真っ向から反対する気概も持つが、心理的に追い詰められると逆に規則にすがって融通の利かない言動に固執することもある。尚、本来は歌手志望であったことから歌が非常に上手いが、食に関しては味覚音痴であることを示唆する描写が劇中にある。

→ ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケの画像

現実のヴィルケ大佐は、1913年3月11日に生まれ1944年3月23日に戦死。第二次世界大戦時のドイツ空軍のエース・パイロットの1人であり、飛行隊司令官や航空団司令官として指揮を執りながら162機の撃墜を記録したことで知られている人物。貴公子のような佇まいと落ち着きのある気品に満ちた振る舞いから「Fürst(フュルスト)」(公爵/侯爵の意味)と呼ばれて尊敬された。

1935年にドイツ空軍に入隊し、1939年3月に中尉となって、スペイン内戦に派遣中の第88戦闘飛行隊に配属された。1939年9月の第二次世界大戦勃発後、第53戦闘航空団(JG53)に配属され、同団第3飛行隊第7飛行中隊(Ⅲ.7./JG53)の中隊長となり、同年11月7日に初撃墜を記録。バトル・オブ・ブリテンでは、第53戦闘航空団第3飛行隊(III./JG53)の隊本部付けとなり、この戦いではイギリス空軍機を10機撃墜してエース・パイロットの仲間入りをした。

1941年6月、独ソ戦(バルバロッサ作戦)が開始する直前に大尉に進級して第53戦闘航空団第3飛行隊(III./JG53)の隊長に就任、その後、通算25機撃墜を記録した8月6日に騎士鉄十字章を授与された。12月にIII./JG53は地中海域に移動して北アフリカやマルタ島周辺を戦場としたが、その最中に32機の撃墜を記録している。1942年5月19日に少佐へ進級の上、第3戦闘航空団(JG3)の司令補佐となって東部戦線へ転属。8月12日にJG3の司令に就任した。9月6日に100機撃墜を記録、3日後の9月9日に柏葉騎士鉄十字章を受章。

以降、12月17日には撃墜機が156機に到達し柏葉剣付騎士鉄十字章を授与されたが、1944年3月23日にドイツ本土上空でP-51マスタングに撃ち落されて戦死、享年は31歳であった。戦死後に大佐に進級している。生涯戦績は出撃回数732回、撃墜機数は162機である。

→ ヴォルフ・ディートリッヒ・ヴィルケの画像

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