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《和菓子探訪》 日本三大銘菓 〈2085JKI27〉

『長生殿』 (森八HPより)

2.  『長生殿』
【由来・逸話】 金沢・森八の『長生殿(ちょうせいでん)』は、360年もの間、変わらぬ製法で作られている上質な砂糖・和三盆を使った紅白の落雁です。また、この森八という菓子店は、寛永2年(1625年)に加賀100万石の祖・前田利家の家臣・亀田大隅の孫である大隅八左衛門が創業した由緒正しき菓子司です。永らく屋号を森下屋としていましたが、明治以降は「森下屋」の「森」と「大隅八左衛門」の「八」をあわせて「森八」と改めました。

森八(旧森下屋)は創業当初から加賀藩の御用菓子司でしたが、3代目の店主・八左衛門(町年寄役)は加賀藩3代藩主の前田筑前守利常により江戸表に召し出され、利常の創意による唐墨(からすみ、中国の墨)に似た長方形の菓子を世に送り出しました。またこの菓子は茶人大名・小堀遠州が『長生殿』と名付けたことでも有名となりました。

こうして『長生殿』の特筆されるべき由緒には、この菓子を考案したのが加賀藩主の権中納言・前田利常であること、そして更に近江小室藩主で伏見奉行であった小堀遠江守政一(遠州)が篆書体で記した「長生殿」の題字をその型に使用していることがあげられるのです。

ここで余談を挟むと、そもそも「落雁」という菓銘自体が、前田利常が後水尾天皇(第108代天皇、1596年~1680年)に献上した白色長方形に胡麻をふりかけた菓子を、「田の面に落つる雁のやう」と帝が評して「落雁」と命名、その後、同様の菓子を宮中では「落雁」と呼称されたとの説があります。そしてこの説が正しければ、是非とも『長生殿』の由緒に加えなくてはなりません。

だがこれには異説があり、文禄年間(1592年~1595年)の頃、米の粉を四角に固めて黒ゴマを散らした菓子を後陽成天皇(第107代天皇、1571年~1617年)に献上したところ「白山の雪より高き菓子の名は、四方の千里に落つる雁かな」との御製(ぎょせい、天皇が自ら詠んだ和歌などのこと)を賜ったことから、以来、「落雁」と呼ぶようになったという説もあるのです。(この話は、山城国の菓子作り名人・坂口治郎の三代目の時、有栖川宮の命で煎り菓子を献上した際のエピソードとも、富山県の銘菓『御所落雁』に因む)

ところが「落雁」の名前の由来は他にも色々とあって、その中でも有力な説は中国から伝来した「軟落甘(なんらくかん)」という菓子が、日本に伝来してから「落甘」と略して呼ばれるようになり、更に「落雁」と書くようになったというものが最も有力視されており、上記の献上を切っ掛けとした二つの説は何れも信憑性はそれほど高くないというのが私の考えなのですが・・・。(たぶん、両天皇が「ふむふむ、これは美味しいね!」と仰ったのは確かでしょうが)

さて、命名者の小堀遠州とは江戸時代初期の大名でありながら、書家で高名な茶人(小堀遠州流茶道の祖)でもあり、また桂離宮などの庭園を手掛けた作庭家、建築家としても有名な人物です。また通称の「遠州」は武家官位の遠江守の唐名に由来する後年の名乗りです。

ちなみに、この菓子『長生殿』の名前の由来を、清代の長編戯曲「長生殿」(清の洪昇の作で、康煕27年〈1688年〉に成立)としている資料が散見されますが、この作品は小堀遠州の死後に発表されているので、遠州はそれ以前の白居易「長恨歌」の末章(「七月七日長生殿、夜半無人私語時。」より、唐玄宗と楊貴妃が愛を語りあった場所が長生殿である)や陳鴻の「長恨歌伝」、白仁甫の元曲「梧桐雨」などを参考として名付けたものと思われます。

また篆書体(てんしょたい)とは、古代中国の秦の時代より以前に使用されていた書体のことです。現在でも印章などに用いられることが多く、皆さんがお持ちのパスポートの表紙にも「日本国旅券」と篆書体で印刷されています。

以降『長生殿』は、御水尾天皇(前述)や歴代の徳川将軍家へも供されて、御献上菓子としてその名を全国に轟かせました。

【材料・製法】 『長生殿』は、本来、茶の湯の添え菓子で落雁の一種ですが、その材料は阿波・徳島産の高級和三盆(白砂糖)、彩に使うは山形産の紅花(本紅)、加賀米(餅米)で作った家伝の落雁粉、そしてそこに飴(あめ)を加えて遠州直筆の篆書体で「長生殿」と彫り込まれた木型で打ち上げて作られます。長年にわたり、ずっと同じ材料を用いながら昔と変わらぬ製法を守っているのです。また、昔はこの菓子の中に胡麻も入れていたとの記録が残っていますが、現在のものには入っていません。

ところで、德島(阿波)産の和三盆糖の製法は、およそ220~240年くらい前、天明期(1781年~1789年)や寛政期の前半(1789年から数年)頃に確立したとされていますが、そうなると阿波(国産)の和三盆が入手出来るまでの約140年間、『長生殿』の原材料の白砂糖は、たぶん長崎を経て中国から輸入した唐三盆(とうさんぼん、白砂糖)を使用していたと考えられます。ちなみに前述のか『越乃雪』もごく最初の頃は微妙ですね、もしかすると唐三盆を使ったのでしょうか・・・。

【評価・実食】 一番安価なタイプでも、しっかりとした装丁となっていて高級があります。そして中身を包む金箔やさりげない紋様が描かれている薄紙も、加賀・金沢ならではの風情が横溢。味や風味が良い上に、パッケージの高級感も堪りません。また、紅白をイメージする詰め合わせが、御祝儀などの贈り物には持って来いとして喜ばれている様です。更に、その奥行きのある上品な甘みは、その姿と同様に実に優雅な味わいを持っています。

外観や触れた感じでは、所謂(いわゆる)、落雁を大きくして板風に伸ばした感じです。確かに見た目はちょっと固そうですが、まるで板チョコをかじる要領で口に入れると、最初のひと口目は多少カリッとした歯応えがありますが、後はスーッと溶ける様で、最後には和三盆の甘さが残ります。そしてそこでお茶を一口飲めば、その甘さの余韻を残しながらもスッキリとした後味に変わる、といったそんな感じの菓子なのです。当然、抹茶との相性は抜群ですが、もちろん緑茶でもOK。

とにかく、この味は洗練されていて見事としか云い様がありません。きっと一流の茶会などで添えられていると、この『長生殿』は菓子なのに凄味を見せるんでしょうね・・・。

さてこの『長生殿』には、製造時の蜜を含んだ柔らかい状態を乾燥させずに、直ちに密封々入した『生〆』タイプという製品があります。これは、通常の『長生殿』よりも瑞々しくてしっとりとした舌触りが特徴となっており、今迄の落雁のイメージを覆して『長生殿』の可能性を一気に広げた菓子ですが、賞味期限が短く、また取扱い店舗も限られています。しかし機会があれば是非、味わって貰いたい菓子です!!

加賀藩御用菓子司森八HP・・・はこちらから

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