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日本海軍最後の傑作戦闘機『紫電改』とは・・・後編 〈3JKI07〉

さて、何れにしても海外での『紫電改』の評判は、我国以上に高いと言わざるを得ない。最後に幾つかの評価事例を紹介して、本稿の末尾としよう。

先ず、米国の技術雑誌『ポピュラーメカニック(Popular Mechanics)』では、米空軍の試験で『紫電改』のマグネットを米国製に替えて、100オクタン価のハイオク燃料を使って飛行した結果、速力はどの米軍戦闘機にも劣らず、機銃威力は一番強いと紹介された。

またフランス人の戦闘機パイロットでエースのピエール・アンリ・クロステルマン(Pierre Henri Clostermann、最終階級は中佐で自伝『撃墜王(LE GRAND CIRQUE)』が有名)の著書『空戦』では、『紫電改』が高度6,000mで『P51マスタング44年型』と同程度のスピードを発揮したことから、『P51』のカタログスペックを参考として『紫電改』の最高速度は時速約680km程度との説を採っており、当時の連合軍の空軍関係者は『紫電改』はその程度の最高速度を発揮したと考えていた様子だ。

更に他の米軍パイロットの証言でも『P-51』と同等の速度が出る為、『紫電改』の最高速度を時速約680㎞程度と想定していたり、日本軍の搭乗員からも時速600㎞以上は頻繁に達成していたという証言があり、こうしたことから近年では発動機の不調や各種部品の不良、前述の航空燃料や潤滑油の問題などその他のネガティブな問題点を何とか克服しながら平均的に620~650㎞に近い最高速度を発揮していた、という説も出始めている。

マイク・スピック(Mike Spick)の著作『The Illustrated Directory of Fighters』によると、『紫電改』(N1K2-J)は高度5,800mにおいて最高速度669km/h、海面高度において最高速度576km/h、上昇力は高度6,100mまで6分6秒との性能であったと記載されている。これらの数値は連合軍による鹵獲機での試験データに基づく数値であると注釈で触れられているが、その詳しい出典元は不明である。

尚、K.マンソン(Kenneth Munson)著の『原色航空機小百科(Pocket Encyclopaedia of World Aircraft)』(英国ブランドフォード社刊行)では、『紫電改』のことを「太平洋戦線に出現した日本機中、最も素晴らしいもののひとつであった」と高く評価している。尚、同書の邦訳には1971年の鶴書房版『飛行機』(絶版)があるが、但し1946年以降の民間航空機を扱ったもの。ちなみに現在、原書では『Pocket Encyclopaedia of World Aircraft: Fighters, 1914-19 (Colour)』などがアマゾン等でも入手可能だ。

尚、各機の性能数値は、我国と米国の計測方法の違いはもとより、試作機と量産機、発展型・改良型などのバージョン違いや計測の時期や環境により、幾つもの異なる値が知られていることを是非ともご留意頂きたい。この為、各機とも他機との性能比較に関しては甚だ困難を極める作業となる。

 

この『紫電改』は343空のエースパイロットたちの活躍などが戦後になって広まり、遅れて来た『零戦』の後継機として、『零戦』や『隼』、『疾風』等と並ぶ代表的な日本軍の名戦闘機として一般的に知られた。また、その開発の経緯や独特のネーミングからも人気の高い戦闘機であり、筆者も幼少の頃は“シデンカイ”という響きが、大のお気に入りであったこと覚えている。

-終-

 

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【余談】この『紫電改』を装備した343空を取り上げた劇場版映画に、1963年に東宝で制作された『太平洋の翼』という作品がある。三船敏郎(343空司令の千田中佐)や加山雄三(301飛行隊長の滝大尉)、夏木陽介(701飛行隊長の安宅大尉)に佐藤允(407飛行隊長の矢野大尉)、そして渥美清(丹下一飛曹役)などが出演している。

VFXやCG技術の無い当時だったが、『紫電改』の実物大セットをはじめとして松山基地の野外セットや1/15の戦艦大和などの円谷英二の特撮技術が映画全編に散りばめられており、現在でも充分見応えのある作品である。また、劇中に護衛艦『ゆきかぜ』や潜水艦『くろしお』、魚雷艇10号などの当時の海上自衛隊所属の艦艇が多く登場しているのも見逃せない。

【参考-1】前編でも紹介したが、『紫電改』の開発の経緯やその運用、また久良湾からの同機の引き揚げに関してのエピソード等については、碇義朗の著した『紫電改の六機―若き撃墜王と列機の生涯』や『最後の戦闘機 紫電改 起死回生に賭けた男たちの戦い』に詳しい。(いずれも光人社刊)

更に343空の活躍については、源田実が著わした『海軍航空隊始末記』(文春文庫)や宮崎勇の著書『還って来た紫電改 紫電改戦闘機隊物語』(光人社刊)、またHenry Sakaida・高木晃治の『源田の剣 第三四三海軍航空隊 米軍が見た「紫電改」戦闘機隊』(双葉社、ネコパブリッシング刊)が日米双方の当事者の証言として貴重だ。

他には新人物往来社文庫の松田十刻著『紫電改よ、永遠なれ』・『歴史群像 太平洋戦史シリーズ24 局地戦闘機紫電改 海軍航空の終焉を飾った傑作機の生涯』(学習研究社刊)・丸編集部編『最強戦闘機紫電改 甦る海鷲』(光人社刊)等が参考になる。

 

菅野直ほかの343空搭乗員に関しては、別稿で詳述する予定であるので、以下の動画を紹介するに留める。

【参考-2】↓『343[IL-2]』より  提供:AllureCisse

菅野隊長機 『最後の撃墜王―紫電改戦闘機隊長菅野直の生涯』光人社刊より 1945年撮影だが撮影者は不明

343空の活躍を描くCG映像だが、菅野直大尉最後の戦いにスポットライトが当てられている。この戦闘での「ワレ、機銃筒内爆発ス。ワレ、菅野一番」、「空戦ヤメ、全機アツマレ」、そして「ワレ、機銃筒内爆発ス。諸君ノ協力ニ感謝ス、ワレ、菅野一番」(その後、消息不明となる)といった部下にむけた一連の無線連絡は、史実の戦記でも有名な話。

但し、彼の愛機は「343-A-15」号機(胴体側面に黄色二重線・赤丸内に15表示)だが、最後の出撃となった1945年8月1日は「343-A-24」号機での出撃であったとされる。また白色二重線は鴛淵孝大尉の搭乗機の塗装(二重線は飛行隊長の表示で、一本線は分隊長の搭乗機を表す)だが、史実では彼は7月24日に既に戦死している。ちなみに動画の中で、米軍4発重爆(B-29)に後方上空から降下しながら肉薄して銃撃を加えるシーンは菅野が編み出した戦法(背面急降下で射撃しながら尾翼の脇をすり抜ける等の過激な攻撃法)の再現の様であり、この戦法がもとで林喜重大尉(343空の戦闘407飛行隊長で戦死後に少佐)が亡くなったという逸話(菅野の戦法に異論を唱えた林隊長は、最後の出撃で「B-29を落とすまで帰還しない!!」と言い残して出撃した)がある。

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