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【江戸時代を学ぶ】 「寺子屋」の実態 第2回 〈25JKI00〉

芝田湛水の「寺子屋」を描いた『歴代之図絵』(久昌寺所蔵)

この回では、江戸時代に「寺子屋」で実際に行われていた具体的な教育内容について触れることにしよう。果たしてそこでは、どの様な「カリキュラム」が採用されていたのだろうか?

また更に代表的な教材である「往来物」等についても少しばかり掘り下げてみたので、是非、その解説にお付き合い願いたいと思う。

※「カリキュラム(Curriculum)」とは元々はラテン語「走る(currere)」が由来の言葉で、狭義ではほぼ「教育課程」のことであるが、広義には教育の目的や内容に加えて教師の心構えや教育にアプローチする姿勢をも含む概念とされる。

※芝田湛水(しばた たんすい)は、江戸時代半ばの書家で盛岡城下(盛岡/南部藩)における「寺子屋」師匠の草分けとも云える人物。盛岡天満宮に筆塚がある他、奕葉山・久昌寺(盛岡市)に経営していた「寺子屋」の様子を描いた掛け軸が保存されている。

【江戸時代を学ぶ】 「寺子屋」の実態 第1回・・・はこちらから

【江戸時代を学ぶ】 「寺子屋」の実態 第3回・・・はこちらから

【江戸時代を学ぶ】 「寺子屋」の実態 第4回・・・はこちらから

 

「寺子屋」での学習内容

1. 「寺子屋」教育の大方針

前編で述べた通り「寺子屋」では、主に読み・書き・算盤といった一般庶民にとっての社会生活における基礎知識と共に基本的な情緒・道徳教育を授けたが、そこには明確な教育の大方針、今でいう処の“グランドデザイン”があった。

この大方針の最初の一歩としては、入学前の幼童らに関して、先ずは父兄・母親の行動や態度を見習わせることが大切であるとして彼らへの助言・指導も行われたとされ、保護者への親子共々の教育指導は道徳面での教導も併せ乍らこの後も続いていくのである。だがこの点に関しては、「寺子屋」が家業となっている師匠も多く、世襲で教師となっている者も数多い中で、生徒の親世代も先代の師匠から教えを受けていた、という例も多かった為に、同一師家による教育方針の不断・継続性が働き、そのことで保護者も含めた教育・生活指導は充分に徹底することが出来たのである。

以後、入学時期(満5歳~7歳)から8歳くらい迄には、親・兄弟(姉妹)や親類縁者、そして師匠や学友、または周囲の所謂(いわゆる)世間の人々と向き合う中で、日常生活での挨拶の仕方や各種の言葉の使い方を習得させて世の中との円滑なコミニュケーション能力を確立し、また客観的に物事を観る観察力や諸事に対する洞察力を育てたが、9歳頃(入門後3年程度)までには日頃の正しい立居振舞の姿と必要最低限の公的な礼儀作法の体得を目指した。

またこの最初の3年間においては、封建制度社会における父母・年長者への孝行・礼節や主従関係といった事の他に、諸事の善悪はもとより規則正しい生活習慣や過度の贅沢を戒める道徳律などが厳しく叩き込まれるのが普通であった。併せて、農村・農民の子供であれば住まう村落、町人・職人の子供であれば居住する町内や親の所属する職業体などに対する共同体意識の重要性を自然と教えたのである。

その後、9歳以降においての学習では師匠の発言・教えを覚えて暗唱すること、10歳にはその教授の内容を理解・咀嚼することが望まれたが、この時期になると多くの生徒たちには知識の獲得や教育の重要性に関する認識が定着しており、自発的に率先して学習に励む者も出てくる。

また12歳頃以降においては、高い勉学意欲を持った生徒の中には既に両親などに代わって家業に関わる事務作業を実行出来る程度の能力を獲得する者も現れ、もしくは師匠はその様になることを期待して職業別指導を行い、更に14歳~15歳頃には“グランドデザイン”の最終段階として、庶民には高度な(それ程の必要性は無いかも知れない)内容も含めて概ね当時の社会・経済構造の全般にわたる理解が行き届いて実社会へと旅立つ準備が完了している形を想定して教育・指導に当たったのである。そしてそれは、かつての我国では14・15歳と云えば“元服”を迎える年齢であり、社会的には大人の仲間入りをする年頃であったからであろう。

さて「寺子屋」の師匠は、前編で述べた様に、学年・年齢別ではなく弟子である子供の習熟度による段階的教育を実施した。また総じてその指導法は個別式のマンツーマン型であり、当該の子供の性別や年齢、親の職業などを考慮して教育方針を立てて教材を選択し、その子供の習熟度や理解度に応じた授業を進めた。しかし何れにせよ、本人やその両親、そして師匠の人格と情熱により教育成果には大きな差が現れたのも確かである。

※「寺子屋」には現在の“生徒心得”のような規則=掟書(「寺子式目」・「手習教訓」など)が存在し、これを順守する様に指導したとされる。一例には、入間郡名栗村上名栗字細ヶ谷の「寺子屋」における天明2年(1782年)の『手習仲間法度書』(中村忠太郎氏蔵)が現存しており、これには31箇条にわたって「寺子」が学習活動や日常生活において守るべきことが具体的に示されている。そしてそこでは、生活全般の時間割、学習中や通学途上の振る舞い方、友人・交際関係の注意点、清潔を重んじて清掃行為の重要性を指摘したり、金銭の無駄遣いや勝負事(ギャンブル)の厳禁、普段の所作・作法についてや防災(防火や地震への対応)の大切さが説かれている。

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