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【江戸時代を学ぶ】 公儀隠密の実態、御庭番とは? 〈25JKI00〉

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徳川吉宗 座像(徳川記念財団収蔵)

江戸幕府の情報収集を担った隠密集団、中でも8代将軍吉宗が創設した御庭番(おにわばん)について紹介する

現代のような情報通信手段が発達していなかった当時、人がコツコツと足を運んで風聞を集めて廻ることが、最も重要な情報収集の手段であったことは間違いない。

 

江戸時代もごく初めの頃(大阪の夏・冬の陣や寛永初年ごろまで)は、忍者、すなわち伊賀者や甲賀者の一部が幕府に召し抱えられて隠密活動に従事していたようだ。しかしその後、幕府の組織や職制が固まるにつれ、御広敷や明屋敷番、鉄砲百人組などに組み込まれた元忍者の彼らの仕事は、城中の警備任務中心へと変貌していった。

江戸時代初期の隠密活動の成果として有名なものは、3代将軍の家光と4代家綱に仕えた大目付の中根壱岐守正盛が、老中の松平信綱とともに組織的に隠密集団を活用して、慶安の変の際に、当時、反幕府勢力(武功派)の代表格と目されていた紀州藩主の徳川頼宣を失脚に追い込むことに成功したことが挙げられよう。強固で中央集権的な江戸幕府の監察活動が常態化し始めたのは、この頃からである。

こうした幕府の公的な隠密の役割を担っていったのが、目付配下の徒歩目付や小人目付である。彼らの本来の任務は旗本・御家人の行状を調査することであり、一般的な世情の風聞を専門に調べる町方掛りは、江戸時代を通じて一時期のみに設置されていたようだが、幕府を代表する内偵・調査組織が目付以下に編成されていたことは間違いない。このようにして隠密という職務が、幕府(公儀)の行政機構に明確に組み込まれていった。

 

その後は、8代将軍の徳川吉宗が紀州より連れてきた元紀州藩薬込役の藩士17家で編成した世襲の御庭番が有名である。御庭番とは表向きは江戸城の奥庭を管理する職務(御広敷用人の配下)であったが、内実は将軍の命を受けて隠密活動(内密の御用)に従事したといわれている。

隠密組織の中でも御庭番は、特に将軍が幕政の主導権を握るために、老中以下の行政機構を経由した従来の監察や隠密活動から得られた情報とは別に、将軍自らが直接コントロールができる直属の諜報機関をつくり、ダイレクトに情報の収集を実行するための組織であった。

御庭番の隠密活動には、主に幕府の諸役人が不正を働いていないかを内偵、調査する江戸向き地廻り御用と、また、地方に派遣され諸大名家の動向や評判などを調査する遠国御用があった。

遠国御用により、江戸近辺から遠く離れた地域の状況を探索する場合、通常は2~3名一組(実際には荷物の運搬役として宰領という小者若干名を雇用して同行させた)で行動した。一度、出発すると数か月以上に及ぶ期間を費やして情報収集に当たった。やはり目立たない姿をした商人などに変身しての行脚が多かったようである。また、実際の情報収集活動においては、御庭番自らが調査を行うのは物理的にも限界があるので、各地の手先(協力者)が事前に調べた情報を聴取するという形も多かった。

江戸時代も後半になると、2名の隠密の1日当たりの「御手当金」つまり経費は1両とされ、出発前に見積りを提出し前金で受け取って出立していった。任務終了後に経費は精算し、残金に加えて「ご褒美金」がくだされた。

また大名領の監察には、諸国巡見使や国目付という役職があったが、その訪問は前触れの後であり、回数も限られ調査・監察の活動も形式化・形骸化していたので、実際の情報収集活動は御庭番などの隠密に託されていたようだ。

御庭番は、探索した結果を風聞書として報告した。これにより、多くの情報が将軍や主要幕閣に伝わっていった。

彼らの家格(御庭番家筋)は決して高くはなかったが、布衣(六位相当)役の勘定吟味役から諸大夫(五位)役の遠国奉行や勝手方勘定奉行までに出世した御庭番出身者も何人も存在する。

 

目付配下の徒目付や小人目付、そして御庭番以外の変わった隠密役には、鳥見の役などがある。

この鳥見は、本来、将軍の鷹狩のための鷹場(幕府直轄地)を見張る(管理する)のが役割で、その警備や鷹の餌食である小鳥、例えば雀などの捕獲を、その職分としていた。

そのため公儀役人として雀の捕獲を名目に、諸大名や旗本の屋敷、神社仏閣などにも自由に出入りが可能な権限を有しており、時には他家の敷地内に強引に立ち入ったという。当然、雀の捕獲は名目であり、内実は情報収集のためであった。しかし、彼らのその権限を傘にきた傍若無人な振舞は、当時の世人からは相当に嫌われていたようだ。

また、勘定奉行配下の普請役なども普請に関わる疑義などの調査には携わっていただろう。更に、町奉行所配下の同心が担当していた三廻(定廻、隠密廻、臨時廻)の内、隠密廻の同心が町奉行管轄地域の内偵・情報収集を行っていた。

ちなみに、幕府以外の諸藩においても、下級武士などを隠密役に任じて領地内外の情勢を探らせていた。

 

御庭番に関しては、隠密御用、特に遠国御用に任じる場合は、事前に当事者たちの上司の了解を得た上で命じている。特別な薬を用意して持たせたり、経費などの支出も比較的合理的なきまりに従っており、昇進の道も閉ざされてはいなかった。

つまり隠密とは、小禄で決して身分は高くはないが、一般のイメージである人知れず諜報活動に従事するスパイで、その末路は哀れな使い捨ての役割などではなかったといえる。それどころか、江戸幕府を支える重要な役割のひとつとして認識されていた、とみるべきであろう。

-終-

 

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4 thoughts on “【江戸時代を学ぶ】 公儀隠密の実態、御庭番とは? 〈25JKI00〉”

  1. 金仙煕 says:

    とても勉強になりました!
    ひとつお聞きしますが、「御隠密御用」とは、職名なんでしょうか?
    あういは役割のことでしょうか?

    予め感謝いたします。

    1. 准将 says:

      正確なことは分かりませんが「御隠密御用」とは、江戸時代黎明期に茶屋四郎次郎なども(徳川家康から)命じられている隠密的な仕事(情報収集と分析)のことでしょう。ご質問の回答ととして「役割」ということになりましょうか・・・。

  2. Lyrics says:

    通信手段が発達…とはいえ、それは電気を使ったものでしょう?
    電気を使ったものって、傍受されるんですよ~。
    (いうまでもなく、ウィルス、ハッキングで情報が外に出て
     しまう)ハードに頼りすぎると、失敗します。
    【立川流】とかいうエロ宗教集団が、一種の暗殺集団で、江戸時代に
    入って(3代将軍以降)、始末されたという話があります。伝奇小説で
    好まれるモノみたいですが、お暇があったらその内どうぞ。
    (日本の仏教は本当の仏教ではありません。その中でも特に本物から
     ほど遠いモノが、宗教を都合よく解釈しまくってエロに利用された。
     乱交パーティの呪術集団でもある。髑髏を使ってヤッていたと)
    今後もサイト、頑張って下さい。
     
     

    1. 准将 says:

      コメント、有難う御座います。今後も【江戸時代を学ぶ】の連載を続けますので、どうぞ、よろしくお願いします。

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