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【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(1)】 6月6日Dデイに向けて・・・『オーバーロード』作戦の立案と概要編 〈3JKI07〉

ところで、この様な史上空前ともいえる大規模な軍事作戦を統括・指揮する最高司令官の座は簡単には決まらないものだ。 当初、英国の首相チャーチルは、英国陸軍参謀総長のアラン・ブルック大将を早くから推薦していたが、結局は主力を担う米国の将軍が最高司令官の座に座ることになる。

ルーズベルト大統領も、初めは米国陸軍参謀総長のジュージ・マーシャル大将をこの総司令官とする予定であったが、米統合参謀長会議がマーシャルの転出に反対したことに加え、他の将官たちとのバランスや太平洋戦線も含めた戦争指導全体の実務面から、その任命を見送ることになる。そこで『トーチ』作戦を成功させ『ハスキー』作戦でシチリア、イタリア上陸を指揮したドワイト・デイヴィッド・アイゼンハウアー(Dwight David Eisenhower)大将を、連合国遠征軍最高司令官に任じた。

彼はこの様な上級司令官としての能力については未知数であったが、作戦計画の立案や組織運営、多国籍の高級軍人間の調整などには定評があった。これは大陸侵攻の大作戦を連合軍のトップとして運営するのには不可欠な才能であると評された。

 

こうして、1943年12月に行われた第二次カイロ会談で、連合国遠征軍最高司令官に任命されたドワイト・D・アイゼンハウアー大将は、翌年の1944年1月15日に英国ロンドンに連合国遠征軍最高司令部を設置した。

副司令官は、英空軍のアーサー・W・テッダー大将、参謀長は米陸軍のウォルター・ベデル・スミス中将である。スミスを補佐する参謀副長には、元COSSACとして『オーバーロード』作戦の原案を策定したフレデリック・モーガン英陸軍中将が就任した。

そして陸上部隊の総指揮官にサー・バーナード・L・モントゴメリー英第21軍集団司令官(大将)、その指揮下の米第1軍司令官にオーマー・L・ブラッドレー米陸軍中将、英第2軍司令官にマイルズ・C・デンプシー英陸軍中将が任命された。

海軍部隊はバートラム・H・ラムゼー英海軍大将が、連合国遠征軍海軍総司令部の総司令官として指揮することになった。また連合国遠征軍空軍総司令部の総司令官は、トラフォード・L・マロリー英空軍大将である。

前述のCOSSACが策定した『オーバーロード』作戦は修正が加えられて、上陸用舟艇の割り当ての増加と、モントゴメリーの要求で当初の上陸兵力が3から5個師団に増強され、空挺部隊も2個旅団から3個師団に増加となった。結局、合計で47個師団の投入が承認されたが、内訳は英軍、カナダ軍、自由ヨーロッパ軍26個師団に米軍が21個師団である。

上陸後には、英軍は左翼方面へ進撃、米軍は右翼を担当して北西フランスや南西フランスを解放することとなった。更にこの米軍の一部は、更に南進して『アンヴィル』作戦で南フランスに上陸した連合軍と連絡することも目標としていた。

またこの進攻作戦の基本構想は、主にノルマンディー海岸の左翼東側に英軍、右翼西側に米軍が上陸・布陣して、そのままの体制で大きく東旋回を行い欧州北部の北海沿岸地域、すなわちフランス北部からベルギー等へ向けては英軍が、フランス内陸部を米軍が進撃するというものだった。米軍の担当距離が極めて長大とはなるが、これは兵站面での合理性から決まったことで、距離の長さというマイナス面よりも、兵站ラインが交差することで生じる混乱・トラブルの方が遥かに大きいとされたが故である。

『ネプチュ-ン』作戦の海軍部隊のパートは、大規模な輸送船団と護衛の艦隊が英仏海峡を横断してノルマンディーに向かうだけでなく、上陸支援の艦砲射撃の実施や独海軍の反撃を撃退することにあった。

 

最高司令官に就任したアイゼンハウアーは、再度、上陸地点をどこにするかを協議した。結果的に、当初の計画通り、ノルマンディー海岸が一番適切であるとされた。

その理由は、やはり戦闘機の到達範囲内であり制空権の確保が確実なこと、パ・ド・カレー地区の次に進攻距離が近いこと、対象地区の海岸部と内陸部の大部分が戦場に適していること、独軍は連合軍の上陸地点をパ・ド・カレー地区と予想しており、奇襲効果が期待できること、などが挙げられた。

 

最後の懸案事項は、上陸開始日(Dデイ)をいつにするかである。当初計画では5月1日の作戦開始であったが、しかしその後、イタリア戦線の膠着から『オーバーロード』作戦の開始は、1ケ月ほど延期されることとなった。

日時の決定に関する条件は、満潮時であること、できるだけ夜明けに近い時刻であること、また、ある程度の月明りも必要とされた。

これらの条件を満たす日は、6月5日から7日までの3日間であったが、それを過ぎると次回は7月19日まで待たなければならなかった。そこで5月5日に、アイゼンハウアーと彼のスタッフ、各司令官たちはDデイを6月5日に決定したのである。

 

だが、5日が近づくにつれ天候の悪化で上陸作戦の決行が危うくなる。そこで6月4日の21時45分になり、アイゼンハウアーは思い切ってDデイを1日延長することに決した。6日には一時的であるが天候が回復するという気象予報官の言葉に賭けたのだ・・・。

こうして『オーバーロード』作戦のDデイは6月6日とされた。

 (次回の、「連合軍側の事前準備・編成(戦闘序列)と攻撃目標編」につづく)

 

【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(2)】 6月6日Dデイに向けて・・・連合軍側の事前準備・編成(戦闘序列)と攻撃目標編・・・はこちらから

【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(3)】 6月6日Dデーに向けて・・・独軍側の迎撃態勢編・・・はこちらから

【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(4)】 6月6日Dデーに向けて・・・上陸作戦前夜編・・・はこちらから

【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(5)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦当日・前編・・・はこちらか

【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(6)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦当日・後編 -1、米地上軍の戦い・・・はこちらから

【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(7)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦当日・後編 -2、英連邦地上軍の戦い・・・はこちらから

【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(8)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦当日・後編 -3、独軍の戦い 並びに作戦の総括・・・はこちらから
 

 

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