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【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(2)】 6月6日Dデイに向けて・・・連合軍側の事前準備・編成(戦闘序列)と攻撃目標編 〈3JKI07〉

さて、既に述べた通り、上陸地点がノルマンディに決定した理由には、補給港の問題も大きかった。ノルマンディの西側に隣接したコタンタン半島の突端にはシェルブール港があり、そこを補給港として利用出来るというのが作戦の前提の一つであった。

しかし、上陸後もシェルブールの占領までには約2週間程度はかかるとされていたし、港湾設備を使用可能なレベルにまで修復するには、最低でもひと月くらいはかかると考えられていた。

つまりシェルブール港が稼働するまでの間は、上陸地点のノルマンディの海岸に直(じか)に補給物資を揚陸しなければならない訳だが、これを少しでも効率よくするために、インスタントの港湾施設を作ることが考案された。

これが「マルベリー Mulberry」と名付けられた人工港湾施設で、コンクリートの巨大な浮き箱や不要な古い艦船を海岸に沈めることによって、即席の埠頭と防波堤を作ろうとしたものだ。この即席港は、米英両軍に各々1か所ずつ設置されることになった。

具体的には、潜函(ケーソンと呼ばれるコンクリート製の箱)、浮橋(ポンツーンと呼ばれる、40t用と25t用など数種類がある)、そして消波ブロック及び沈船を組み合わせたものである。

上陸の後、シェルブールが解放された以降も、ノルマンディ東方のル・アーブル港が使用出来る様になるまでの半年間にわたり、燃料をはじめとする約120万トンもの補給物資の揚陸に用いられることになったのだ。(米軍建設のAと英軍建設のBがあったが、先に完成したAは嵐に遭遇し大きく破損、実稼働4日で放棄された)


またこれ以外にも、上陸地点付近の偵察が重要な課題であった。これにはあらゆる手段が用いられ、航空機による上空からの偵察は言うに及ばず少数のコマンド部隊などによる隠密上陸と偵察、フランスのレジスタンス(反独抵抗組織)からの情報など、ありとあらゆるものが活用された。

そして連合軍航空部隊は、写真撮影や無線情報の傍受・解析により、独軍の防御施設や各部隊の最新映像や状況の入手に努力していた。

また英海軍は、海軍特別偵察隊(COPP)による上陸予定海岸地点の状況調査を行い、海洋測量艦が海底の地形や海流などの調査も実施していた。

この様な情報に基づいて、上陸地点やその後の進攻地域の詳細な地図や模型、そして実物大の建物セット等が作られ、実際の演習などを通じて上陸部隊の隊員各人に担当上陸地点の地形や特徴、そして独軍の編成や配置が叩き込まれたのだ。

 

『オーバーロード』作戦に向けて、連合軍の兵員と物資の集積は着々と進められていた。英連邦軍部隊とその補給物資は英国南東部に、米軍部隊とその補給物資は英国南西部に集められた。

この配置は、大西洋を渡って送られてくる米国からの膨大な兵員や物資を留置する為の、その輸送船団の到着する港湾などに近い地方である南西部に、米軍駐屯地と物資の集積地が割り振られた為である。そして1944年5月当時には、上陸作戦に備えて英国内に駐留している米国兵は約150万人にも上っていた。

 

前稿の通り連合軍は航空攻勢にも力をいれており、戦略爆撃としてのドイツ全体の軍需生産施設と交通網の徹底的な爆撃や、独軍部隊や防衛施設に直接攻撃を実施する戦術爆撃、そして制空権の確立の為の航空撃滅戦を実施していった。その結果、ドイツの工業施設や精油施設の50%以上が破壊され、北西ヨーロッパ地域の鉄道網の約70%が使用不能な状態に追い込まれていた。

上陸作戦の対象であるノルマンディー地方では、約80%近くの鉄道網が使用出来ない状況に陥り、独軍の兵站・補給の能力はほぼ崩壊していた。更に重要なことには、航空撃滅戦の成果として1943年後半から1944年6月のDデイ当日までの数か月間で、独空軍は5,000機以上の軍用機が破壊され、熟練の航空兵を多数喪失していた。

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