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神の山に導く「御師」とは 〈1647TFU29〉

20141012_1218232013年6月世界遺産に登録された富士山。今では国内のみならず、海外からの観光客も増加している。信仰の対象でもあったその富士山に、はるか以前から全国の参拝者をもてなし、導く人々がいたのをご存知だろうか。今回は「御師」と呼ばれる彼らの街を訪ねてみた。

 

富士山は昔から神様が宿る山と信じられ、富士山に登拝するため各地から人々が訪れていた。

平安時代以前は、人々は富士山には登らず裾野から遥拝していたが、仏教の影響によって、登拝するという祈り方に変わっていった。
遥かにそびえる富士山に行きたい,登って拝みたいと願う者が増すのは当然のことであろう。
しかし、江戸から吉田までは健脚の人でも片道3日、吉田から頂上までは少なくとも往復2日、合計8日間の旅は、現在からは想像もできない程の時間と費用がかかったことだろう。一大行事であったことは想像に難くない。富士山の麓にやっとたどり着いて、安堵の気持ちと、期待感は盛り上がったことだと思う。そんな彼らを迎えたのが「御師」達だ。

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こうした御師に関してのガイドが街のあちこちに見られる

御師は、自宅を信者に提供し、宿泊・食事の準備をはじめ一切の世話を行うとともに、日常は富士山信仰の布教活動及び祈祷を行うことを生業としていた。つまり、御師は宿泊所の提供者であり、信仰の普及者としての性格を持っていたようだ。

彼らの実際の生活は、経営する宿坊での信者から宿泊料や通行料、おはらい料、お礼、お布施などの収入によって維持されていた。
富士山の御師を代表する「富士吉田の御師」は、吉田口登山道の起点となる北口本宮冨士浅間神社の門前の地域において、南北の道路の左右に御師住宅が建ち並ぶ集落を形成していた。最盛期では、吉田口には御師の屋敷が百軒近く軒を連ねていたほどであったというから、大変な賑わいだ。

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現代の住宅の奥に佇む御師の家

御師の屋敷は間口が狭く、奥に長い短冊状の地割を持つ。表通りから奥まった屋敷までは、「タツミチ」と呼ぶ細長い引きこみ道が通じていて、民家の庭先に通じる。これは、御師の町が成立した当初の古い“本御師”の家の特徴だそうだ。これに対し、表通りに面した“町御師”もある。

到着した信者たちは、導入路を横切る水路においてまず手足を清めた。この川は「ヤーナ川(間の川)」という禊ぎのための小川で、今も音をたて流れている。
その後に主屋へ到着すると、御師の導きにより、先達(グループの案内役)は式台玄関から、その他の信者たちは庭に面する縁側から、それぞれ主屋の内部へと入った。

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貴重な遺構を残す「旧外川家住宅」 一般公開

式台玄関から奥へと客室が続き、母屋の奥の離れ座敷には神殿が設けられている。御師及び富士講信者たちは神殿の前に集まって拝礼の儀を行い、登拝の準備を行った。ここは単なる宿舎ではなく、神聖な祈りの場所でもあり、聖地へ向かう直前の儀式を執り行う場所でもあったのだ。

私も実際に富士吉田の街を訪れてみた。

富士急行の「富士山」駅を出て5分ほど、車の場合は国道137号線。「金鳥居」から富士山を正面に見て緩やかな坂が続く。今では寂しい商店が立ち並び、静かな街並みになってしまった。ところどころに、かつて「御師の家」であったことを示す同じデザインの看板が目に入る。近づくと先には民家がひっそりと建っていることが多い。ここにも多くの信者が足を運んだことだろう。今では「旧外川家住宅」が当時を知る貴重な公開された「御師の家」になってしまったが、往時に想いを馳せて、ゆっくり散策してみるのも面白い。民家の表札の下に「見学希望の方は一声かけてください」と書かれているところもある。ひとつひとつ、訪ねてみれば、多くの発見があるだろう。

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正面に富士を望む。今では普通の街並みになってしまった。

 

隆盛を見た富士信仰とそれにかかわる御師は、文明開化以後の新しい社会の風潮に乗り遅れ、徐々に衰退の一途をたどった。かつての御師の家は、今は民宿などに生まれ変わっている。

しかし、今でも面影を残す広い街割り。世界遺産の一つとして、もっと多くの観光客に知ってもらいたいものだ。

 

 

 
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