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龍の創造 -後篇- (東洋/中国における龍に関する話題の数々) 〈2354JKI11〉

屋根に載る龍

中国の建造物、特に寺院の屋根には龍が飾られています。

古代から龍は水の神として崇められてきました。龍は自在に雷雨や竜巻を呼ぶことができるとされていたので、火災が起きると雨を呼んで火を消してくれるし、日照りで水不足の時は降雨をもたらしてくれるとされていたのです。

このような願いを込めて屋根の上には龍の像を置いたのでしょう。日本においても同じ様な意味で、城の天守閣や大寺院の屋根の両端には「鯱(しゃちほこ)」が鎮座していますね。

ちなみに鯱/魚虎とは、頭は虎で体は魚のインドの想像上の生物で、これもまた龍と同じく雨を降らす動物です。

 

龍の爪

龍の爪の本数には、大きく分けて5本、4本と3本の3種類があります。そして中国王朝の象徴としての龍の爪は5本であり、これは皇帝以外には使えないとされた時期がありました。我国日本では、殆どの龍の姿は爪が3本となっています。丸山応挙や横山大観が画いた絵や、左甚五郎作と伝えられる日光東照宮の彫刻も全て3本爪の龍です。また、古いものでも高松塚古墳の玄室東壁の青龍なども3本爪で描かれています。

この龍の爪の数については、いろいろな説があります。中国視点(中華思想)よりの説としては、5本爪が中国の皇帝だけが使うことを許されたとし、友好的な属国である朝鮮等の国家では4本、しかし下位の貢国とされた日本などでの龍の爪は3本とされたようです。ちなみに朝貢を頻繁に行っていた琉球王国は爪4本の待遇ですが・・・。

つまり龍の爪数の多寡は権威の上下を表し、中国国内の話でも爪の数が5本の時は皇帝を表し、4本の場合は諸侯を、3本は位の高い官僚を表しているともされます。これは「五爪天子、四爪諸侯、三爪大夫」と言う言葉に由来しますが、しかしその意味は、龍そのものに関しては皇帝のみが使用を許されたのではなく、本数を減らせば臣下も身に着けたり手元に置いたりすることが可能だったということになります。またそこから転じて(はるか後年の話ですが)、5本爪の場合が天の遣いである高貴な龍、4本龍はその次位で3本爪は庶民的と言うか一般的な龍ともされました。

しかしながら、後に皇帝専用とされる龍の爪数も初めから5本ではなかったのです。5本爪の龍を王朝の象徴に使い始めたのは一説には唐王朝(618年~907年)からとされていますが、元(1271年~1368年)以前の王朝では龍の爪はどちらかと言うと3本が基本で、その後の明代に至るまではその時々によって爪数は変化します。皇帝の龍の爪も3本だったり4本になったりと移り変わり、5本爪であると定着したのは明(1368年~1644年)の時代以降になるのです。

さて、ところが日本における龍の爪の本数に関する認識は、上記の中国視点の考え方とは異なり、一貫して3本爪です。そして、そこには高貴の差という概念は差しはさまれていない、とする説が有力なのです。要するに、わざわざ中華帝国に遜って数少ない3本を選んだ訳ではなく、始めから龍の爪と云えば3本と相場が決まっていた、ということの様です。

もう少し詳しく説明すると、日本に龍が中国から伝わった最初の時代、中国は隋とか唐の時代でした。前述のように、その頃は中国でもまだ龍の爪は3本爪が基本であり主流だったのです。たぶん、遣隋使や遣唐使らによってその本数がそのまま日本に伝えられたのだろうと思われます。以降、中国王朝との交流が薄れる中で、日本側では龍の爪の本数は変わることなく3本爪として定着していったのだと考えられます。ですから、日本では中国王朝のシンボルである5本爪の龍と比べて、我国の龍が格下の存在であるとは思ってもみなかったのでしょう。

これに比べて面白いのが朝鮮の王朝で、この国は大陸と地続きの地勢から日本とは異なり、否応なしに中華帝国の影響を強く受けていて属国化が進んでいました。そこで当然ですが皇帝の象徴としての5本爪の龍を朝鮮の歴代王朝は使用することを中国から許されませんでした。

ところが、その時の力関係で朝鮮の王朝の実力が高い時には稀に5本爪を使った場合もあるようです。国力が隆盛であった統一新羅時代には5本爪の龍を使用していました。その後の高麗時代は4本爪ないし3本爪となります。やがて李氏朝鮮の王朝になると、四代世宗が5本爪を使いますが、他の王たちは概ね4本爪を使いました。しかもこの龍は名称を「龍」とは呼ばずに、大蛇の意味の「蟒」として中国からのクレームを避けていました。

ところで、そう云えばなぜか宮崎駿監督のアニメ『千と千尋の神隠し』に出てくる龍の爪は4本でしたね・・・

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