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《聖遺物伝説》 改めて「ロンギヌスの槍」とは何か? 〈248JKI15〉

聖槍に関する伝説・伝承

「ロンギヌスの槍」の由来に関しては諸説あり、どの説も真偽のほどは判りません。そこで(都市伝説的な)疑わしいものも含めて羅列することにしました。

先ずは、その製作の由来から紐解きますと、かつてエデン東方のノドにトパルカイン(Tubal-cain)という人が居たそうです。彼はアダムより数えて7代目の子孫で、カインの子孫レメクとチラの子であり、『旧約聖書』「創世記」に登場する人物で『鍛冶屋の始祖』と云われています。

トバルカインは、「錆びる事もなく、鈍る事もなく、壊される事もなく、破られる事もない武器」を作ろうと、より硬い鉄鉱石を求めてアララト山を彷徨っていた時、天から強烈な光が差して地面に突き刺さったといいます。そしてその場所には聖なる金属の塊があり、彼はその塊を用いて槍と剣を作りました。

その後、神の啓示を受けたトバルカインはノドからカナンへと赴き、使用されることなく保管していた槍と剣を、エフライムの山中の岩の裂け目に封印します。

その封印が解かれたのは紀元前1,200年頃で、イスラエル王国が異民族のモアブ人に攻め込まれて、滅亡の危機を迎えた時の事でした。 ベニヤミン族のエフドが、トバルカインの作った槍と剣でモアブ人の王を撃退し国を守ったのです。

以降、この槍はユダヤのダビデ王やソロモン王の所有を経て、紀元前103年に盗難や遺失を恐れたハスモン朝のヤンナイオス王によってマサダの要塞に隠されました。但し、その後、同時に作られた剣の所在は不明となります。

その40年の後、紀元前63年にマサダを攻撃したローマ軍のポンペイウス将軍の部下がトバルカインの作った槍を発見します。

彼らは槍をローマに持ち帰り、ジュリアス・シーザーに献上しましたが、シーザーはその槍をガリア遠征に携行します。そして、そこで武功を立てた部下の兵士に下賜しますが、その兵士がカシウスの祖父でした。こうして槍はカシウスへと受け継がれて、やがてイエス・キリストの体を刺し貫くことになりました。

 

こうして『聖遺物』となった「ロンギヌスの槍」については、様々な伝説・伝承があります。

カシウスの家系に受け継がれた「ロンギヌスの槍」は、エジプトのローマ軍(テーベ軍団と言われエジプト・ルクソールのキリスト教徒で編成されていた)の部隊長であるモーリスのものとなっていました。

部下共々キリスト教徒だったモーリスは、ローマ帝国に対して反乱を起こしたガリアのキリスト教徒(現在のスイスの一部に住んでいたバゴウダエ人)を虐殺せよ、との時のローマ西方正帝(ローマ帝国の西半分を治める皇帝)マクシミアヌスの命令に背きます。

これに激怒したマクシミアヌスは、モーリスとその部隊の全員(6,600名とも1,000名くらいとの説もある)を処刑するように命じました。こうして処刑されたモーリスはキリスト教の殉教者『聖モーリス(St. Maurice)』となりました。

槍は286年にモーリスが殉教したあと、308年にはマクシミアヌスの義理の娘と結婚した副帝コンスタンティウスを経て、コンスタンティウスの息子である皇帝コンスタンティヌスⅠ世/大帝(ローマ帝国を再統一、キリスト教を公認した最初の皇帝)に贈呈されたとされています。

宗教(キリスト教)を政治や軍事に利用することに長けていたコンスタンティヌス大帝は、ローマ軍の兵士の盾にイエス・キリストを意味する頭文字を描かせ、また多くの戦いに聖槍を持って行き、勝利を収めました。

次ページに続く》   

 

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