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《歴史の奇妙な一致》 アレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)と織田信長の戦術・戦略 〈2316JKI47〉

アレク8alex信長850596b673f077d075fc34ce4058ed3a0_14846皆さんは、古代西洋史におけるカリスマ、アレクサンダー大王と日本史上の大英雄である織田信長との間に、非常に似た点があることをご存知でしょうか? 成功の要因は必然的に近似するのだろう、と言われればそれまでなのですが、歴史上に名を残す軍事的な天才ふたりの戦術・戦略の相似を取り上げてみました…。

 

アレクサンダー/アレクサンドロス3世(前356年7月20日~前323年6月10日)と信長(1534年5月12日~1582年6月2日)と)には、軍事的な面に限っても以下のような類似点が明らかに見受けられます。

・四面楚歌の中、父親の後を継いで数年で周辺の敵対陣営を制圧したこと

・軍事的決断と作戦行動の早さ、必要とあればギャンブルもいとわない

・積極果敢な拡張主義と粘り強い意志

・反対勢力、裏切者への非情さと厳罰主義

・兵農分離による常備軍(プロの軍隊)の創設

・新兵器の積極的な導入

・長槍隊の強化と効果的な活用

などの部分でこの二人の英雄は非常に似通っていますが、特に長槍隊の強化と効果的な活用に注目してみたいと思います。

先ずアレクサンダーは、伝統的に用いられていたファランクス部隊の軽装化と、盾を小型化して長槍を更に長大にすることで、当時としては非常に精強な軍隊を編成しました。 また彼は戦況に応じて異兵種(重・軽装歩兵、弓兵、重・軽騎兵など)を組み合わせた混成部隊により、多種多彩な敵対勢力の軍勢に、臨機応変、柔軟に対応することが可能であったと云われています。

一方、信長においては、新兵器の導入に関して鉄砲の威力に着目して大量に装備し活用したことは周知の事実ですが、アレクサンダーと同様に槍を改修して活用しています。

彼は、同じく槍を長くしてファランクスに似た集団で戦う戦法を確立しました。これは戦闘技術力の低い雑兵たちに長槍を持たせ、集団で槍衾を作って戦わせるものです。一説には突くのではなく、上から叩くように攻撃したとも伝わっています。ちなみに、当時の他国の槍は2間(けん)ぐらいが一般的で、織田軍のものは3間から3間半といわれていますから、1間(約1.8m超)以上は長かったことになります。アレクサンダーのマケドニア軍の長槍(サリッサ)も、全長はほぼ同じ5m弱~6m強程度だったとされています。

そしてこの戦術の採用には、単に武器の改修による戦術の変化だけではなく、兵農分離による常備軍の創設が背景にあるとされています。即ち、戦技の低い足軽たちをまとめて指揮官(足軽大将)の命令一下、部隊としてまとまって戦闘が可能な兵制を作るには、常備軍を編成してしっかりとした訓練を積む必要がありました。

こうして我国の軍事史において、信長以降は一騎打ちが減り集団戦闘が増加したと云われています。

また両人ともに、ここぞという時には、戦機を見据えて一気に戦力を集中運用することで敵を殲滅するといった軍事戦略をとっていました。

唯一といって良い大きな相違点は、アレクサンダーは一個人の戦士としても優秀で、常に率先垂範、最前線で一般の将兵たちと共に戦って(大きな負傷も負ったりと)、その勇敢さと武威を示したことくらいでしょうか。しかし信長も、若き日には自身も前線で槍や太刀を振るって戦闘に従事していたと思われます。

1900年と9,500kmの隔たりを感じさせない、両英雄の軍事的共通点をご紹介しました。もちろん、信長がアレクサンダーの生まれ変わりだなんていうチープな説は唱えませんが、これらの類似点は大胆な軍事革新者の一種の成功法則なのかも知れません…〈責任執筆:イットン調査団の団員、タクヤ〉

-終-

 

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