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【国鉄昭和五大事故 -5】 紫雲丸事故 〈1031JKI51〉

5度目の事故の経緯

出港からの衝突までの『紫雲丸』
昭和30年(1955年)5月11日早朝、上り第8便『紫雲丸』(総トン数 1,449.49t)は多数の修学旅行生を含む船客781名と貨車等19両(貨車15両、手荷物及び郵便車4両)を載せて一等運転士兼船長の中村正雄が指揮を執り、高松港鉄道第一桟橋を出航しようとしていた。その日、瀬戸内海沿岸の海上には濃霧警報が発令されていて場合によっては視界は50m以下の場所もあると予想されていた。

06時20分過ぎに、上記の通りの高松地方気象台発表の濃霧警報が高松桟橋無線係から『紫雲丸』に無線電話で伝えられ、同船はマリンレーダーを起動・スタンバイした。またこの点に関しては「本日は沿岸の海上では局地的な濃霧が発生する恐れがあり、視程は50メートル以下の見込み」との濃霧警報を受けた次席二等運転士が出港に先立ってこの情報を中村船長に報告したところ、同船長の指示によりレーダーの作動を準備してから船首に赴き出港配置についたとの証言がある。

その後、中村船長は目視により船橋(ブリッジ)から前方500m程度の視界が確保出来ていることを確認して、『紫雲丸』は06時40分には宇野港へ向けて出港した。この航海が予定通りに進めば、宇野での待合わせ時間15分間で、下り3246列車に接続する形であった。

中村船長は06時43分の少し前、機関用意及び出港部署を解き、次いで左舵を発令した。こうして『紫雲丸』は徐々に回頭しながら高松港西防波堤燈台を左舷側に60mばかりの位置に見ながら同地点を通過した。

当時の宇高連絡船基準航路によると、中ノ瀬燈浮標以南の海域においては上り便航路は高松港防波堤入口中央から0度500mの地点に達してから以降は311度の針路で同燈浮標に至り、下り便航路はオゾノ瀬下端燈浮標を90度300mの地点から125度半の針路で高松港防波堤入口中央から0度500mの地点に達することになっていた。

しかし中村船長は上記の上り便基準航路に沿わず、06時44分頃に高松港西防波堤燈台の北微東約100mのところで北西に定針して間もなく10.8ノットの全速力に近いスピードで航行を始めた。

その頃、次席二等運転士は出港部署が解除になった為に船橋(ブリッジ)へ向かいレーダーの操作を開始し、受信感度を調整したことを船長へ申し伝えたところ、中村船長はレーダー・スコープを覗き「これなら、はっきり良く出ている」と頷いたとされ、その後、次席二等運転士は三等運転士及び操舵手と共に船橋において見張任務に従事したと云う。

06時45分頃になると、前路の霧が濃くなり視界が著しく低下してきた。06時50分頃に『第3宇高丸』からと思われる霧中信号を船首やや右方向に聞き、三等運転士は船長の命令により霧中信号長音1回でこれに応答したが、レーダーでその船影を捉えていたので『紫雲丸』は速力10.8ノットを維持していた。

以降、『紫雲丸』はレーダーで『第3宇高丸』の映像を捉えており、その存在を知っていた事で直ちに機関を停止することもなく依然としてほぼ全速力で進行し、また無線電話によって相手船との連絡を試みることもなかった。またその後、2回ほど『第3宇高丸』の霧中信号を聞き、その都度、霧中信号を発して応答している。

この時点で『紫雲丸』の次席二等運転士は、『第3宇高丸』の汽笛(霧中信号)から相手が右方へと移動している様に感じたので、中村船長に対して「『第3宇高丸』は、女木島に突かけるようですね」と言ったところ、船長は「そうだ」と応えて、依然としてレーダー・スコープを注視していたとされる。

06時52分頃、操舵手から女木島に並行したとの報告があり、間もなく更に濃い霧の中に進入して視界が全く閉ざされた為、中村船長は06時53分には機関用意を発令して、速力を10ノットばかりに減速、06時54分少し過ぎになり始めて両舷機関停止を命じたが、船舶は機関(エンジン)を停止してもしばらくは惰性で進むものであり、この時点では未だに『紫雲丸』は急速に前進していた。

更に三等運転士は、中村船長の指示により無線電話での『第3宇高丸』との連絡を試みたが自船の霧中信号に妨げられて目的を果たせず、06時55分頃、船長はレーダーを注視したまま左舵を発令し、操舵手は舵角15度の左舵をとった。

ところで、海上で航行中の船舶は、行き会う(すれ違う)場合は互いを左舷に見ながらすれ違うという規定(海上衝突予防法第14条)があるが、この時、『紫雲丸』が直進すれば問題なく両船はすれ違う筈だったと思われるが、何故か中村船長は『第3宇高丸』に衝突する左方向に舵をとったのだった。

左転した後、06時56分少し前にレーダー画面を見つめていた中村船長は「あらら、おかしい」と呟き、同じく船橋(ブリッジ)にいた次席二等運転士や三等運転士、そして操舵手はほとんど同時に右舷船首4点半の約100m付近を『紫雲丸』の船橋のあたりに向けて進んでくる『第3宇高丸』を認めたのだった。またちなみに、海事用語で自船の周囲360度を32等分した方位の角度(11度15分)を1ポイント(Point)「点」と言い、これは帆船時代の昔から使われてきた用語である。

こうして6時56分には『第3宇高丸』が、『紫雲丸』の右舷機械室側面に前方から約70度の角度で衝突してきたのだった。そして衝突と同時に『紫雲丸』は停電して水密辷戸(スイミツスベト)の閉鎖も出来ず、機械室から車軸室にかけて右舷外板を大きく損傷し両室間の水密隔壁も破壊され浸水が始まった…。

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