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【国鉄昭和五大事故 -4】 鶴見事故 〈1031JKI51〉

事故の原因と対策

当時の国鉄は、前年の三河島事故の件も踏まえて、鶴見事故の発生直後に直ちに「鶴見事故技術調査委員会」を設置して原因の調査にあたったが、当該事故の原因究明には困難が待ち受けていた。

先ずは下り2365貨物列車の事故発生時と同様の編成にした試験列車を組成して、事故発生地点における走行試験が2回ほど実施された。更に模型実験に加えて2軸貨車の実際の走行実験を何度か行い、昭和42年(1967年)からは廃線となっていた根室本線狩勝峠旧線(通称:狩勝実験線)を利用して、貨物の積載状態や空車と積載車の編成具合、運転速度や加減速度等の違いに基づいて実際に車両を脱線させる大規模な脱線原因調査が行われた。

※根室本線狩勝峠旧線(新得駅~落合駅間)には狩勝峠があり、急勾配・急カーブが多く、狩勝トンネル内での蒸気機関車の煤煙などが列車走行の障害となっていた。これらを解消する為に新狩勝トンネルを含む新線が建設されて、同区間は昭和41年(1966年)9月30日に通常の営業路線としては廃止の後、新内~新得間に関しては鉄道事故の原因究明、及びその対策に関する実験を行う「通称・狩勝実験線」として使用されていたが、昭和54年(1979年)には廃止されて線路も撤去された。当時ここでは、実際に機関車から切り離された無人の実験列車を勾配を利用して走行させて、車両を脱線させる実験が行われたと云う。 また様々なパターンで組成された実験列車の先頭には制御車としてマヤ40形が連結され、地上基地から無線操縦でブレーキ操作や連結器の解放を行い、それらの映像やデータの記録・測定と送信を実施したとされる。

マヤ40形とは、マロネ40形(旧マイネ40形)を改造した狩勝実験線用の試験車。競合脱線の試験では機関車から開放され無人運転が出来る様になっていた。また、連結されている被試験車が脱線してもマヤ40形が脱線しないように自動連結器ナックルの下半分が削正されている。 後に国分寺の鉄道技術研究所(現・財団法人鉄道総合技術研究所)に配転したが、JR移行直前の昭和62年(1987年)に廃車となり形式も消滅した。

※マヤ40形は、事故現場付近での再現実験でも使われており、現在でも国道38号沿線にはマヤ40形の遠隔操縦やデータ収集に使った無線塔などの実験跡が残っている。

脱線した貨車と同じワラ1形

しかしながら、得られた実験データは明確に脱線へと繋がるものではなかった。殊に事故発生の発端となった2軸貨車の脱線については原因の特定が難しく、即ち下り2365貨物列車の43両目に連結されていた2軸有蓋貨車ワラ1形のワラ501号車の車輪が走行中にレール上に乗り上がって脱線した事実は明確となったものの、脱線を起こした当該貨車の車輪そのものや脱線地点の線路状況を克明に調査した結果、脱線が発生する様な特に問題視される異常現象は発見されなかったのである。

だが事故現場の軌条(レール)に残った痕跡からは、車輪の線路上への乗り上がりが発生したのは脱線の直前で、且つカーブから直線に変わる地点である事が分かった。この貨車(ワラ501号車)はその状態でしばらく(約16mあまり)走ったが、遂に車輪が線路から外れた為に脱線して後続の車両を引き連れて隣の路線側へ飛び出したのだが、こういう状態を「せり上がり脱線」という。ちなみにこの様な、曲線出口の緩和曲線部でレールに乗り上げていた痕跡が認められた状態は、後年の『日比谷線中目黒事故』と同じである。

※「せり上がり脱線」とは、車輪のフランジがレールの上に上がってしまい、やがて脱線に至るとという現象である。我国では鶴見事故の原因究明の結果、国鉄が策定した総合安全基準の中でも、「乗り上がり脱線」と「滑り上がり脱線」は、共に車輪フランジがレールと接触を保ったまま車輪がレールを転がり上がり脱線する形態で、その両方を包含する呼び方として、「せり上がり脱線」と呼ぶともされている。

※鉄道用語におけるフランジとは、車輪の内側にあるツバ状の脱線を防ぐ為の出っ張り部分のこと。

※「乗り上がり脱線」とは、 車輪とレール間の摩擦係数が大きい時に、垂直にかかる力(重量)、すなわち輪重に比べて車輪を横に押し出す力が超過している場合に、フランジがレール上に乗り上がって起きる。

※「滑り上がり脱線」は、車輪とレールとの間の摩擦係数が小さくて、横圧によりフランジがレール上に滑り上がる場合である。

※『日比谷線中目黒事故』は、平成12年(2000年)3月8日の午前9時1分頃に、営団地下鉄日比谷線において発生した列車脱線事故で、死者5名、負傷者63名を出した。尚、事故原因に関しては、複合的要因により発生したとされた。

この様にして国鉄は徹底的に事故原因の究明の為の検証実験を行ったが、その結果として事故技術調査委員会が出した結論は、事故時の車両や積載の状況、また線路・路盤の状態、運転速度と加減速の変化などの要素が複雑に絡み合った「競合脱線」であるとした。つまり多くの原因が重なって事故が発生したもので、単一の原因に帰すことは出来ないとしたのである。

※「競合脱線」とは、線路や車両の状態に特に異常がなくとも様々な力学的要素が重なり偶発的に脱線が発生する場合をいう。

この「競合脱線」という、ある意味曖昧な結論に至った理由に関しては、以前から貨車や線路等に脱線を引き起こす欠陥や問題点がなく整備も規定通りに実施されていても、また(貨物)列車の運転状況にも異常が見当たらない状況で、2軸貨車が突発的に脱線するケースが幾度か発生しており、当時としては未だにその原因が詳らかにされていない中で、鶴見事故の直接的な原因(2軸貨車の突然の脱線)が結局は不明となったことに帰結した影響だとも思えるのだ。

つまり当時の国鉄は「競合脱線」という原因を結論付けたが、これは脱線にいたる主因が不明確であるという点から、実質的には限りなく「原因不明」に近いものであった。それまでの2軸貨車による突発的な脱線は、貨物列車単独のものであり、人的な被害を発生させた例が極めて少なかったが、鶴見事故では不幸なことに貨車の脱線事故とほぼ同時に上下方向から旅客列車が進入してきた事で、甚大な人的被害が発生する結果となったのだった。

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One thought on “【国鉄昭和五大事故 -4】 鶴見事故 〈1031JKI51〉”

  1. 二ッシー says:

    昭和30年代半ばの電気機関車、直流機のEF60、交流のEF70、交直流のEF80などは共に最高速度は85㎞以上を示して、2軸のワム型、ワラ型は75㎞以下では電気機関車のスピードについて行けなくて空転をお越して脱線事故を起こしたと思う。同時期にコンテナ輸送の特急貨物‶たから”が運行された。蒸気機関車の時はともかく、電気機関車に合わせてコンテナ輸送を主としたもので、ボギー車に交換の時期でもあったかもしれない。今のJR貨物の電気機関車ではとても2軸はついて行けない。国鉄と違って営利が主で最後部に車掌を乗せていないと、連結器が外れて坂道を暴走したときに問題であり、電車は連結器が外れたら止まるけど、貨物列車はそう言う訳には行かず、セノハチでは補助機関車は外せない。

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