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【漢詩の愉しみ】 題不識庵撃機山図《不識庵機山を撃つの図に題す》(川中島) 頼山陽 〈3817JKI11〉

賴山陽のこと

この漢詩の作者である頼山陽は、江戸後期の儒学者で歴史家、思想家、そして漢詩で有名な文人でした。安永9年12月12月27日(1781年1月21日)に安芸国出身の儒者(朱子学者)頼春水の長男として、大坂の江戸堀に生まれた彼の名は襄(のぼる)、字は子成といい、通称は久太郎(ひさたろう)を名乗りましたが号の山陽が有名です。

父親が安芸広島藩の儒学者に登用されたことで、山陽も転居先の広島城下で育ちました。寛政9年(1797年)には江戸に遊学し父の学友・尾藤二洲に師事しますが、山陽の母である頼梅颸の妹が二洲の妻であった為、二洲は山陽の義理の叔父という間柄でした。そしてこの二洲からは、特に歴史への興味・関心について影響を受けたとされます。

やがて帰郷後の寛政12年(1800年)9月、突如脱藩を企てて上洛するも、京都滞在中に見つかり広島へと連れ戻され、廃嫡の上で自宅にて幽閉されてしまいます。しかしこの幽閉期間中に学問に専念し、著述に打ち込みました。その後、謹慎を解かれた後、文化6年(1809年)に儒学者・菅茶山の廉塾に招かて都講(塾頭)に就きましたが、文化8年(1811年)に京都へと向かい、洛中にて自らの塾を開きました。

文政9年(1826年)には代表作『日本外史』が完成、翌文政10年(1827年)には幕府の老中・松平定信に献上し、一躍脚光を浴びました。以後、各地を巡っては多くの詩文を残しましたが、天保3年9月23日(1832年10月16日)に病を得て没します。享年53歳。墓は京都東山長楽寺にあります。主著の『日本外史』の他に『日本政記』や『山陽遺稿』、そして『日本楽府』等があります。

山陽は学問以外にも詩文・書画に秀でており、多くの文人墨客と交わったとされます。またその著作『日本外史』は、幕末の尊皇攘夷運動や勤皇思想に大きな影響を与え、所謂ベストセラーとなり数多くの支持者・愛読者を得ました。

ちなみに、広瀬淡窓の「山陽は現在第一流の人物で、この人より才力のある人物はいないと思う。ただその人柄は高慢であり礼儀を知らず、また欲張りである。その為にどこででも憎まれ、度々その地を追われた。誠に惜しいことだ。」と云う言葉が興味深いですね。但し、山陽は幼いころから神経症に悩まされ精神の安定を欠いていたとされ、淡窓の云う高慢さや礼儀知らずの様子や履歴にみえる出奔癖などはこうした原因による情緒の不安定さが招いたものと推測されます。

尚、山陽の他の漢詩には、同じく歴史に題材をとった『本能寺』や旅先の情景を詠んだ『泊天草洋(あまくさなだにはくす)』等があります。

※『日本外史』とは、武家の興亡を中心に描いた史書で、その歴史観は幕末の尊皇攘夷運動や明治維新以降の歴史教育に強い影響を与えました。

※広瀬淡窓(ひろせ たんそう)は、豊後国日田出身で天明2年4月11日1782年5月22日)に生まれ、安政3年11月1日1856年11月28日)に亡くなった江戸時代後期儒学者で教育者、漢詩人でもあった人物。本人の死後も続いた私塾の“咸宜園は、入門者が延べ4,000人を超える当時の日本最大級の私設教育機関となった。尚、山陽は数回にわたり日田の咸宜園を訪問し、淡窓と面談しています。

 

詩吟『川中島』について

詩吟の領域に関して解説するのは本稿の目的ではないので、ごく簡単に触れるに止めますが、この漢詩に由来した詩吟『川中島』は、まさしく詩吟の定番中の定番であり真髄とも云われているそうです。

そしてその中で吟じられる謙信と信玄・両雄の一騎打ちの場面があまりにも有名な為に、確かにこの漢詩の存在をよく知らない人でも、「鞭声粛々~」という件(くだり)については何処となく聞き覚えがあるのではないかと思われます。

詩吟を嗜む知人によると、入門者の多くが比較的早めに習うのがこの『川中島』で、特に男性の場合は先ず初めに習うことが多いそうです。

 

“粛々”に思う

筆者が“粛々”と云う言葉を知ったのは、この漢詩のおかげです。しかしこの“粛々”の本来の意味は、中国古典では「鳥が羽ばたく様子やその羽音」・「北風が吹きつける音」等を表す擬態語だったとされ、山陽の用法(「厳しく引き締まった様子」の中で「集団が秩序を保って物事を遂行していく様」)とも異なっていました。しかも現在では、(二流? の)政治家が対立する意見を押し切って物事を進める時の発言によく使われていて、露骨さを和らげながら批判には耳を貸さず方針を押し通す場合に使用される言葉だと、多くの人々に解されている様です。筆者としては、ダメ政治家がピンチの時に使う言葉というイメージが国民に定着してきたことは、非常に残念ですね。

 

既に詳述した通り、あくまでも架空の話である一騎打ち伝説ですが、現実のことの様に思えるほどの躍動感と迫力がこの漢詩にはあり、創作がいつしか昇華して文学の域を超えて“史実”となる好例の一つかも知れません。

そしてこの『題不識庵撃機山図』は、まさしく歴史好きの筆者にとって漢詩の愉しみを教えてくれた和製漢詩の代表作なのです!!

-終-

 

 

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