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《ファンタジーの玉手箱》 大盗賊、石川五右衛門の真実とは? 〈2354JKI40〉

本当の石川五右衛門とは・・・

世間への見せしめを狙った秀吉ですが、その処刑に「釜茹で」という手間の掛かる極刑を用い、更にわざわざ一族郎党の全てを公開処刑としたのには、やはりそれ相応の大きな理由があったと思われます。ただ単に五右衛門が世間を騒がせた凶悪犯だったからだけでしょうか・・・。

江戸期以降の創作の影響は抜きにしても、実在した石川五右衛門は色々と悪事を働いていたのでしょうが、事実は単なる悪党に他ならないのか、それとも、例えばその刑罰の重さの意味するところは、彼が本当は秀吉の首を狙う復讐者や暗殺者だった為とか、秀吉の政策に批判的な態度をあからさまにとる集団の代理人であったと考えるのはさほど難しいことではないと思うのですが・・・。

 

史実では、当時の絶対権力者であった豊臣秀吉は、五右衛門を処刑した翌年の文禄4年(1595年)7月、甥で豊臣家の跡継ぎと定めていた関白秀次を強引に切腹に追いやり、秀吉はこれに満足せず秀次係累の根絶をはかります。そして翌8月、秀次の遺児や妻、妾など40名近くを五右衛門と同じく三条川原で処刑しているのです。

また実際の歴史上の資料でも、例えば太田牛一の『太閤さま軍記のうち』では秀次の家老、木村常陸介重茲と粟野木工頭秀用が秀次を誑かして陰謀を巡らせたと伝えています。

※但し『太閤さま軍記のうち』の記載内容には、多くの歴史的疑義が含まれているとされます。

更に創作の世界では、読本『絵本太閤記』では前年に刑死した五右衛門と関白秀次の事件を殊更に関連付けて物語を創りあげ、秀次の謀略と秀吉暗殺未遂事件の筋書きを創造しています。

そこでは、五右衛門が豊臣秀吉の命を狙って伏見城に忍び込み、あと一歩という処で秀吉の宝「千鳥の香炉」が「チリリ」と鳴き声を上げたので捕えられてしまい、その後の秀吉直々の取調べに対して「お前こそ、天下を盗った大泥棒だろう」と啖呵を切ったことで秀吉の逆鱗に触れ、釜茹での刑にされたとの物語になっています。

※「千鳥の香炉」の正式名称は「青磁香炉 銘 千鳥」と言い、13世紀、南宋時代の中国龍泉窯で造られた砧(きぬた)青磁の香炉です。蓋の部分に室町時代の金工師であった後藤祐乗作の千鳥のつまみが付けられています。また、台座の部分には明時代の堆朱輪花形の台が添えられています。この「千鳥の香炉」は底の中央に高台があって三本脚が宙に浮くのを千鳥に見立てて名付けられたという奇妙な香炉で、その不安定さから少しの震動でも揺れてコトコトと鳴り出したとされます。

※『絵本太閤記』では、騒ぎに駆け付けて五右衛門を取り押さえたのは仙石秀久と薄田兼相としています。

※『賊禁秘誠談』によると、五右衛門は秀吉の取調ベに対して「大盗人の棟梁はお前(秀吉)だろう、天下を盗んだではないか!!」と述べています。

※実際の五右衛門は取り調べに対して、「手下たちを養う為」という至極当たり前の理由を述べています。

そしてこれらの江戸時代の創作(浄瑠璃や歌舞伎、読本など)では、明確に木村重茲が石川五右衛門に対して、主人秀次を失脚に追い込もうとしてる秀吉の暗殺を命じたと描いたものも出てきました。

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