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戦後70年 戦地から帰還した機関車〈1549/3TFU29〉

ここに2両の機関車の画像がある。
C56 31号機は東京の靖国神社で展示保存されている。C56 44号機は静岡県の大井川鐡道で動態保存されている。実はこの2両の機関車は、戦時中、海外に送られて戦場を走っていた「戦争経験車」なのだ。戦後70年、様々な出来事が語られる中で、戦地から帰還した2両のC56についてまとめてみた。

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C56形機関車は、昭和10年(1931年)に製造を開始した機関車だ。主に日立製作所、三菱重工業をはじめとして164両が製造された。
この機関車の特徴は、他の蒸気機関車の重量が約60~80トンある中、C56は約37トンと最軽量であったことである。また、逆方向に運転できるように設計されていた事もあり、鉄道施設も最低限で済んだ。このことから、当時の国内のローカル線の近代化に大きく貢献した。ちなみに、31号機は石川県の七尾線で、44号機も北海道の千歳線等で使用されていた。
しかし、戦争の悲劇がこの機関車を襲うことになる。陸軍からの要請で、南方作戦に向けてC56 1から90号機までの90両を1000ミリ(1メートル)のレール幅に合うように改造(日本のレール幅は1067ミリ)し、タイ・ビルマに送られることになったのだ。皮肉なことに、軽量で扱いやすいというC56の特徴が、「野戦向き」と戦地には好都合になってしまったわけである。戦地では兵員輸送や物資の輸送に大活躍をする。

その後、太平洋戦争が激化するとC56形も損害を受け始める。地雷・爆撃・銃撃を受け大破した車両も多く出た。また、線路状態が悪く、橋の上から脱線転落した機関車もあったという。さらに戦争末期には、残った機関車も退却後、敵に利用されないようにと、将兵の手によって爆薬を仕掛けて爆破する事も行われたという。
過酷な環境下で、国内から運ばれてきた「戦友」である機関車を自爆させる時の心情は、いかばかりであったことだろう。

終戦を迎えたC56は、タイ国鉄の機関車として残った。そして昭和47年(1979年)に日本に「帰還」を果たした。31号機は多くの英霊が祀られる靖国の地で、戦闘機や野戦砲と共に屋内展示されている。武器と共に並ぶ姿は、一瞬違和感を覚えるが、多くの兵士を運び、共に銃弾をくぐった物言わぬ証言者としてふさわしい。44号機は大井川鐡道で、観光客の笑顔を乗せて、平和な時代を感じながら元気に走っている。穏やかに歴史の流れを見つめていることだろう。

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靖国神社「遊就館」にて。手前の砲は89式15糎加農砲。

戦時中はC56の他にもC11やC58など、数百両の機関車が海外に「出征」した。戦争末期には、船で輸送中にアメリカ軍の空爆にあい、船もろとも海底に沈んだという悲しい話も残っている。意外と知られていない、機関車の戦争の記憶。私も引き続き、調べていきたいと思う。
(資料協力:ローレル賞)

 

 

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