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【太平洋戦争】 優駿 日本海軍 巡洋艦物語!! 第1回 重巡洋艦 『鳥海』 -前編-  〈3JKI00〉


『鳥海』の戦歴

昭和7年(1932年)12月1日には、『高雄』型4隻で第四戦隊を編成した。その後『鳥海』は、昭和8年(1933年)に第二艦隊旗艦となり、同年夏の特別大演習に際しては青軍の前衛部隊旗艦を務めたが、演習中に短波通信が一時不能となったことから海軍の通信関係者の間では「鳥海事件」とも称される問題とされた。

その後に横浜沖で開かれた観艦式では御召艦『比叡』(戦艦)の先導艦(この際の供奉艦は『愛宕』、『足柄』)となり、同年末には無線設備を一部改装して、翌昭和9年(1934年)以降も第二艦隊旗艦を務める一方、九一式高射装置の設置や機関部の小改装を実施した。

『鳥海』は、昭和11年(1936年)10月に神戸沖で開かれた大演習観艦式では再び御召艦『比叡』の先導艦となった後に改善工事に入り、前部マストの短縮や後部マストのデリック換装、毘式40mm単装機銃の撤去と九三式13mm四連装機銃の設置といった改装が施された。

昭和12年(1937年)7月に『鳥海』は改善工事を終えたが、前後して日中戦争が勃発したことから第四戦隊は旅順を拠点にして黄海沿岸での作戦支援に当たった。

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近代化改装後、公試中の姉妹艦『高雄』 (昭和14年7月14日、館山沖標柱間 横須賀工廠撮影)

昭和13年(1938年)春に『高雄』と『愛宕』が改装工事に入って戦列を離れた後も、『摩耶』と第四戦隊を組んで日本本土近海で訓練を行う一方、第二艦隊旗艦として中国沿岸に進出、同年10月には連合艦隊主力による示威行動の一環として廈門に寄港している。

昭和14年(1939年)も前年同様に『摩耶』と訓練や大陸方面での作戦に当たっていたが、11月に竣工直後から所属していた第四戦隊を離れ、以後は昭和15年(1940年)10月まで第二遣支艦隊旗艦となった。

 

さて『鳥海』、『摩耶』の近代化改装は昭和16年(1941年)度から実施される予定だったが、同年12月の太平洋戦争の開戦の為に実施されず、日本本土に戻り第四戦隊に復帰した『鳥海』は、舷外電路設置の他は出師準備を行うのみとなった。

『鳥海』の場合は対外情勢の緊迫等の他、旗艦任務を担任することが多く、改装する時間が取れなかったのも一因とされる。しかしこの時の改装内容は、艦橋の小型化を始めとして先行して改装された『高雄』、『愛宕』に準ずるが、後部マストの移設については盛り込まれなかったとされている。

後に『摩耶』は、ラバウル空襲後の戦傷修理を兼ねて大規模な装備の換装を行ったが、既述の通り、『鳥海』に対しても『摩耶』と同様の計画があったがついに改装工事の機会は得られず、45口径10年式12センチ単装高角砲4基(高雄等は40口径八九式12.7センチ連装砲4基)、八九式61センチ連装魚雷発射管4基(高雄等は九二式4連装発射管4基)など、竣工時の高角砲や魚雷発射管を装備したままで最期を迎えることとなる。だが、大戦後半にはレーダー(前部マスト上に2号1型を1基、艦橋に2号2型を2基)を装備していた。

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