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【国鉄昭和五大事故 -3】 洞爺丸事故 (後編) 〈1031JKI51〉

運命の悪戯と事故の後日談・被害者たちのその後

実は、国鉄本社での鉄道管理局長会議に出席する為に上京の途上であった浅井政治国鉄札幌総支配人と旭川と釧路の鉄道管理局長らも『洞爺丸』に乗船しており、この大惨事に巻き込まれ亡くなってしまった。しかし最も事故の発生と対策に責任を持つべき青函局長は、浅井総支配人一行と同じ国鉄本社での会議に参加の予定ではあったが、都合により『洞爺丸』にての同行はせずに、後続便での上京を手配していた為に事故には遭遇していない。

事故直後に一部のマスコミ(新聞)により、「荒天での無理な出航は、一等に乗船していた浅井総支配人及び旭川局、釧路局、青函局の局長らが国鉄本社での会議に間に合わせる為に船長に出航を強要したものだ」との記事が発表されて大いに世間の非難を浴びたが、後々になってもこの件が事故の原因のひとつとして伝えられていた。

だがこれは、『洞爺丸』から出航前に下船して事故を免れた一部の一等船客の虚偽の情報提供によるとされ、青函局長本人や生き残った乗組員の証言などでは、当該の国鉄幹部が近藤船長に出航を強要したことなどは無かったと否定している。

また運命の女神に見放された者の中で、政界関係者では北海道遊説からの帰り道だった冨吉榮二衆議院議員(元逓信大臣、日本社会党-右派所属)と衆議院議員の菊川忠雄氏(日本社会党-右派所属、遺族の細君・君子氏は洞爺丸事故遺族会の会長を務めた)、並びに冨永格五郎元衆議院議員(北海道3区出馬の自由党系元職議員)が沈没した『洞爺丸』と運命を共にしたが、元宝塚女優の佐保美代子氏(男役、月組の副組長および月組組長を務めた後に退団、以後はメイクアップ・アーティストとして活動)などの著名人も尊い犠牲者となった。

逆に、運命の女神に微笑まれた人々もいた。一旦、乗船して事故に遭ったとされた川村善八郎衆議院議員(自由党所属)に関しても、本人が事故現場へと駆けつけて遭難は誤報と判明する。そして喜劇的な顛末から命を拾った人々には、事故当時、中央競馬会(JRA)の元騎手で調教師であった西塚十勝氏の様に、沈没した『洞爺丸』の乗船切符を持ちながらも函館・湯の川温泉での宴会に参加していたことで船に乗り遅れて難を逃れたり、漫才師の『Wけんじ』の東けんじ氏と宮城けんじ氏の如く深酒して出港に遅刻した為に命拾いした者もいた。

更に運命の悪戯により九死に一生を得た人物には、永井勝郎氏がいる。彼は事故直後には遭難者名簿に名を連ねていた為、家族はその安否を心配していた。だが本人は、元気な姿で自宅に帰り着き、心配していた家族や同僚たちは喜びに沸き立ったと云う。彼が無事に帰り着いたその訳は、出張からの帰路、一旦は『洞爺丸』に乗船した永井氏だったが、なかなか出航しないことに苛立って下船を申し出たが、押し問答の末に断られてしまった。既に乗船客用のタラップも外されていたにも関わらず、だが諦め切れない彼は乗組員には黙ってこっそりと、出航直前に乗務員用の出入り口から下船したのだった。誰もその事実を知らなかった為に、乗船名簿には彼の名前が残ったままだったとされる。この永井氏の多少我儘でせっかちな行動が、タッチの差で未曾有の大惨事から自身の命を救ったのだった。

他にも乗船はしたものの、いつまでも出航しない『洞爺丸』に痺れを切らして船を降りてしまった者がいた。川村久雄氏は事故当時、北海道大学の学生だったが、青森の実家に帰省する目的で『洞爺丸』に乗船していた。彼も、予定時刻を過ぎても皆目出港する様子の見えないことに業を煮やして、『洞爺丸』の事務長と粘り強く交渉してなんとか下船許可を得たという。しかも、彼が下船する為にタラップを降りていく際に、入れ替わりに乗り込んで来た乗客たちとすれ違ったという。その時、乗船して来た人々は、口々に「なんだ、船はまだいるじゃないか」とか「良かった、なんとか間に合ったよ」と話していたそうである。しかしこの瞬間が数時間後に訪れる、生きるか死ぬかを隔てる命の分岐点であったのだが・・・、この時点では誰もそのことを知らなかった。

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