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《ようこそ神様》 『七福神』と『宝船』、その由来は何でしょう? 〈1647JKI27〉

これらのメンバーをまとめて神仏混合のセット『七福神』としたのは室町時代末頃とされ、現在の近畿地方から始まったものとされています。もともと別々に信仰されていた七つの福の神を集めて、『七福神』としたのです。

しかし、当初は必ずしも七人のメンバーは固定していませんでした。やがて江戸時代にはほぼ現在の顔ぶれに固まったものの、その後も多くのバリエーションが生み出されています。『弁財天』の代わりに『お多福』や『吉祥天』が入る場合、『達磨』を追加して『八福神』とするなど、色々なパターンがあります。尚、元来は貴族や上級武士に支持されていた『吉祥天』が『七福神』のレギュラーだったのが、庶民に人気の高い『弁財天』に取って代わられたとの説もあります・・・。

一方、『宝船』は、元来は「穢れ」や「悪しき事」を祓う為の、悪夢などを乗せて水(川や海)に流すという「夢違え」もしくは「夢祓え」の船が原点だったとされます。

これも室町時代頃には風習・慣習化され、節分の夜か除夜には「船の絵」が人々に配られて床の下に敷いて寝た翌朝に、それを集めて水に流したり土に埋めたりしていた様子から、「祓う物」あるい「流す物」として扱われていたと考えられます。その後、江戸時代に入ると、正月の縁起物として帆かけ船に米俵や宝物を積み「回文」(上から読んでも下から読んでも同じ音になる文章)を書いた、『七福神』が乗り込んだ『宝船』の絵を飾ることが流行しました。

尚、その帆には、『宝』の他に『獏』(夢を食べると云われる想像上の動物バク、悪夢を食べてくれる)の字が書かれることもあるようです。そして、正月二日の夕方に『宝船』の絵を枕の下に入れて寝ると、良い初夢を見ることが出来るとされています。『宝船』に書かれた回文歌を三度読んで寝ると吉夢を見られるという風習があって、和歌を歌いながら千代紙や折り紙などにその和歌を書き記し、その紙を帆掛け船の形に折って枕の下に置くことで良い夢が見られるとも伝わります。

またこの際の回文歌は、「なかきよの、とをのねふりの、みなめさめ、なみのりふねの、おとのよきかな」(長き夜の 遠の眠りの みな目覚め 波乗り船の 音のよき哉)といったもので、因みにこの和歌の出展元の文献には、室町時代の『運歩色葉集』(1548年に成立)や中国・明代の『日本風土記』(1592年)があります。

最後に、『宝船』は新年をあらわす季語でもあります。例えば「須磨明石みぬ寝心やたから船」(服部嵐雪、「小弓誹諧集」より)などがあり、また嵐雪は松尾芭蕉の弟子で、「蕉門の十哲」の一人です。弟子の中で、特に優れた高弟10人を指していう。蕉門の十哲とも。

-終-

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