Browse By

【お酒にまつわる雑学】 日本にもあった「禁酒法」!! 〈1647JKI53〉

日本酒556 e49m_5817「禁酒法」と云えばアメリカ合衆国のものが有名ですが、この「禁酒法(Prohibition)」は、1920年から1933年までアメリカ合衆国憲法修正第18条下において施行され、飲料/消費目的のアルコールの製造や販売、そしてその輸送までもが全面的に禁止された法律のことです。

また歴史を遡ると、古代の中国やギリシャ・ローマ、そしてエジプトなどでも、数多くの酒に関する禁令が出されていますし、イスラム教圏の国々ではもともと教義でアルコールの摂取が禁じられており、全面的な禁酒が宗教の根底にあるのです。

ところが、宗教や慣習などでは禁酒とは無縁と思われる我国の歴史上でも、実は数多くの「禁酒法」・「禁酒の令」が発布されているのでした・・・。

 

日本で最も古い禁酒の法と考えられているものには、大化2年(646年)に出された『薄葬令(はくそうれい)』に関しての『薄葬の詔(はくそうのみことのり)』があります。本来『薄葬令』は、大規模な陵墓建設の制限や人馬の殉死殉葬の禁止などを定めたもので「古墳時代」を終焉に導いたものでしたが、『薄葬の詔』では、「(繁忙期には)民の魚食や飲酒を禁ずる」といった点にも触れていて、同様の詔や令は奈良時代から平安時代にかけて何度も出されており、その対象は一般の「民」ではなく特に「僧侶」に的を絞った事もあった様です。

聖武天皇の御代、天平18年(746年)にも『群飲厳禁令』が出ています。当時、疫病、特に伝染病が蔓延しており、集まって酒食を行うことが病気の伝染の原因と考えられて、そういった禁令が出されたのでしょう。以降、 天平宝字2年(758年)に民間の飲酒を禁じ、また延歴9年(790年)には農民の魚食飲酒を禁じる令が出ています。

平安時代初期に菅原道真が編纂したとされる『類聚國史(るいじゅこくし)』(892年に成立)には、大同元年(806年)頃の「水旱成災、穀米騰躍を理由に酒豪の甕を封印せしめた」という記載があり、左京右京・山崎津・浪速津の酒家の瓶を封じました。

更に貞観8年(866年)には、諸司の郡飲、僧侶の飲酒を禁じ、昌泰3年(900年)に、諸司、諸家、諸祭使などに「饗宴郡飲」の禁止を命じています。

その後、鎌倉時代に入ると、5代執権/北条時頼の頃である建長5年(1252年)に『枯酒禁制』が出され、同9代貞時の弘安7年(1284年)にも、同じ様な酒造禁令が発せられていたということが『東鑑』に所載されています。

『枯酒禁制』では、鎌倉の民家の酒壷の内1/3に当たる3万7,247口が破棄され、併せて『諸国市酒禁止令』により全国の市場での酒販売が禁止されました。そしてその後も、弘長3年(1263年)には、太政官より奈良興福寺に宛てて『群集宴飲禁止令』が布告されています。

 

江戸時代になると、寛永19年(1642年)に3代将軍の徳川家光が酒造りに関して制限を設け、その後も万治元年(1658年)と延宝8年(1680年)に酒造を一部押し止める布令が出されています。この時は、密告による取り締まりが奨励され、処罰の対象者にはその当該被告が従う名主や同朋の五人組までが含まれるとし、連帯責任が極めて強化されていました。

そして元禄時代ともなると、先ずは元禄元年(1688年)には、酒造米の生産を2年前の50%ととし、「寒造り」の他は新酒の醸造を禁止することが、『衣服禁奢令』・『質素倹約令』と共に発せられています。

元禄9年(1696年)には、大酒を飲み酒乱を働く者だけではなく、飲ませる者、無理強いする者も同罪として罰する旨の禁令が出ています。その後、元禄12年(1699年)には、酒造量を前年の20%に抑え、酒屋の大きな酒釜が封印されてしまいます。元禄13年(1700年)、新酒の製造が禁じられ、翌14年(1701年)には酒を用いた接待を制限する「飲食節約」の令が出されています。更に元禄15年(1702年)には、家業以外の酒造が禁じられました。翌16年には新酒醸造が再び「寒造り」を除いて禁じられています。

以降、天明7年(1787年)、寛政3年(1791年)、慶應3年(1867年)と、凶作の年には例年の30%~50%程度に酒造りを抑える様にとの命令が出されました。

この様に、米も比較的潤沢に供給され、飲食業が大変繁栄していた文化・文政の時代(1804年~1829年)を除くと、江戸時代全般を通じて何かと酒造業に関しては制限が課せられていました。

 

米が武士の俸禄の主体を成していた時代においては、その価値を安定・維持する為には、米を使って行われる酒造りについては、過度の酒造を厳重に取り締まり、その生産量をコントロールする必要があったのでしょう。また私酒造や酒の闇生産を取り締まる行為は、寺社や土倉(鎌倉時代および室町時代の金融業者)などの正規酒造業者の保護と税金の徴収確保といった意味合いが強いと考えられます。

伝統的に酒を忌み嫌う風潮は我国にはほとんど存在せず、諸外国の様な宗教や信仰に由来した制限とは異なり、政治的・経済的な意味合いでの禁令がほとんどでした。

しかし、これだけ多くの禁令が何度となく出されたことから、なかなか取り締まりが実を結ばなかった事が窺えます。洋の東西を問わず、「禁酒法」は破られる為の法律なんですね・・・(笑)。

-終-

 

 

《スポンサードリンク》

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。