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【三日月ネコの日々是好日記】 日本人の英会話力が低い理由を考えてみた!! 〈1647JKI56〉

必要に迫られて、もしくは何らかの強い興味・関心を持って、専門の英会話教室を受講する人達は別にしても、学校で何年にもわたって英語を学んでいる国民で、こんなにも会話力が低い国民は、日本人くらいのものです。

そこで本気(マジ)でこの状況を変えるつもりならば、(非現実的であっても)社会構造を変革するしかありません!!

例えば、“国会議員になるには英語で演説が出来ることが条件で、それを満たしてない場合の立候補は不可”とか“学校教育に関わる教職員は、英語がきちんと話せないとその資格を失う”や“会社経営者には必ず英語が堪能な人物を充てる”というような決まり? があれば、おそらく話は違ってくると思います。

その必要性を痛感させる社会を形成しないで、生徒・学生たちに高い会話力を修得しろと言ったって、本気で取り組むはずがないからです。

ところで最近、この様なルール(社内での公用語は英語)を課した企業があるようですが、その成果は如何でしょうか…。正直なところ、急に「英会話の絶対使用」を義務付けられた(それほど英会話力の高くない)社員の皆さんには同情を禁じえません。

なぜならば国民の英会話力の向上は、国家・社会全体が幼少時の教育から中長期的に取り組むべきことであると考えられるからですが、しかしこのことは非常に達成が困難な課題であり、先ずはグローバルビジネスでの成功を目指す一企業が率先して取り組むのもやむを得ないことかも知れませんネ。

 

さてもう一つ、日本人が英語(もしくは他の言語)をいつまでたっても話せるようにならないのか? との答えが、この国の歴史を振り返れば解ります。

それは明治期から大正期にかけての日本人が、苦労して外来の多くの技術・文化や科学用語を大量に日本語に翻訳したことで、外国語を使用しないでも高等な学業にチャレンジ可能な環境を創り上げたことの結果です。

この点については、「読み書き」には堪能でも会話力が低い日本人の一流科学者も多く、また英語をほとんど話せない大学教授も見掛けますが、それは学術を極める課程に英会話力が必要ないからでしょう。そしてこのことは最初に述べた、我国では社会で成功を収める為にことさら英会話力が必要ではない、ということにも強く関わっているのです。

ところが、他の国々では状況は異なります。例えば同じアジア圏でも、フィリピンでは現在でも数学を学ぶには英語が必須です。何故かと言えば、同国では児童レベルの算数の教科書でさえ未だに英語の数学用語が自国語(自国で使用されている言語)に翻訳はされていません。ですからこの国の人々は小学校においての算数の授業から、大学などで専門的に高等数学を学ぶ学生まで、英語のままの数学用語を使用し続けるのです。つまりこの国での数学という学問は、英語によって成り立っているのです。

同様の例は世界中でみられ、特に学術用語等では英語や独語・仏語などがそのまま使用されている場合が多い様です。しかし我国の場合は前述の様にきっちりと翻訳して日本語化するか、または和製英語という独自の言葉が作られ、この場合はかえって混乱を招いてしまいました。ちなみに我国では、かつては医学界で広く独語が使われていた時期が長かった様ですが、会話にまで利用されていたことはないようです。

また福沢諭吉による freedom・libertyの日本語訳「自由」(訳者に関しては森山多吉郎など諸説あり)は有名ですが、同様に各分野でほとんどの重要な言葉が日本語に置き換えられて行きました。最新の技術・学術用語等も翻訳されるかカタカナ化されて日本語となるので、一般的には必ずしも原語を覚えて使わなくても良いのが日本語の特徴なのです。

そして日本語だけで高度な学術を学べる教育体系が確立された為に、英語などの外国語が必須ではない閉じた社会が出来上がったのです。

この点は、多数の国民の教育水準を極めて高いレベルまでに押し上げることに有意義に働く、ある意味、世界に誇るべき事でもあり、戦前の我国が西欧列強と互角の先進国となり得た原動力なのであるとは思いますが、しかし残念なことに、現在の日本人全般の英会話力の欠如を招いた一因ではないかとも考えられます。

これは先に述べた、我国で暮らし成功を目指す分には日本語だけで充分であることと微妙に重なり合った考察ではありますが、あまり今迄は論じられてこなかった視点とも云えるでしょう。はじめてある知人からこの説を聞いた時には、目から鱗で、思わずポンと膝を叩いたものです。

更に会話力に限らず、我国の大学などの高等教育機関での英語力は他国に比べて弱いとされ、例えば世界の大学ランキングで比較した場合、シンガポール大学や北京大学・清華大学等と比べて東京大学や京都大学が下位に位置している大きな理由に、英語で発表された論文の少なさが挙げられています。これなどは、同じアジア圏の国々と比べて日本の英語教育の課題・問題点が浮き彫りになっている現象の一つと言って良いでしょう。

 

また敢えてもう一つ、英会話力の低さについて第三の理由を挙げるとすれば、身の周りに英語を話す外国人が少ないこともあるでしょう。これは直截な言い方をすれば我国の帰化や移民政策が原因(諸外国に対して閉じた社会)でもあり、これも結局は普段の生活において英会話必要性の高まりに繋がらない社会の現状が根底にあることによります。

但し、最近の来日観光客の急速な増大を踏まえると、徐々にではありますが英会話力の向上が求められる職業等が増加しているのも事実ですので、こうした状況の変化が会話力の底上げに繋がると期待出来ます。近頃、時折見かける観光地等の土産物店や飲食店の年配店主や店員が片言の英語で外国人顧客と喋る姿は、未来に繋がる明るい兆しかも知れませんが、これもやはり必要に迫られてのことなのです…。

 

どの学問分野でも日本語だけで大学卒業程度まで学べる社会が成立していることに関しては、意外にも日本人には自覚がありません。そして、このことは大変素晴らしいことには違いないのですが、結果としてこれが外国語の会話力の上達の阻害要因となったとすれば、明治期の先達の努力が仇となってしまったともいえる事なのでしょうか…。

長い鎖国が終わりを迎えた幕末から維新にかけての日本人たちの多くに、外国語での会話にチャレンジした若者は多く、彼らは限られた教材のもとでほぼネイティブスピーカーからの指導も受けずに短期間に他の言語をマスターしていきますが、これこそが必要に迫られた熱意のこもった学習態度の賜物なのです。

昔から「外国語の会話は(ネイティブの)恋人から学べ」と云いますが、やはり「必要は発明の母」なんでしょうネ。

-終-

【参考】「外国語の会話は(ネイティブの)恋人から学べ」⇒ 森鴎外広瀬武夫の例を思い出します!!

 

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