Browse By

【ライバル対決】 独軍 キューベルワーゲン vs 米軍(連合軍) ジープ 〈3JKI07〉

ジープ(Jeep)とは、1940年に米国陸軍の要請により開発が開始されて短期間で量産化に成功し、翌1941年以降、連合軍全般で広く使用された小型軍用車輌である。第二次世界大戦におけるソ連軍を含む連合国側の汎用軍用車輌として、その高い耐久性と優れた不整地走行性能で大きく戦果に貢献した不世出のクルマとされている。

そして戦争の結果、この車輌の高性能ぶりと有用性が国境を越えて広く認知され、第二次世界大戦終了後には同種の軍用車輌が世界各国で普及する事に繋がった。しかもこのクルマは平和な時代の訪れと共に軍用車輌の枠に止まらず、その優れた設計や性能と素晴らしい実績により、単なる一ブランドとしてではなく、全世界的に民生用の4輪駆動(4WD)・ヘビーデューティー&オフロード・カーの代名詞ともなっていくのだった。

 

第二次世界大戦の砂漠戦で活躍した、英軍SASの重武装ジープ

さて、米軍のジープ開発の原点は、第一次世界大戦後における小型偵察車輌の開発にあった。歩兵・騎兵・砲兵といった兵科によっては微妙に要求の内容は異なったにせよ、戦場・不整地での走行を鑑みて、小型・軽量でスピードが速く、走行距離も長くて耐久性・信頼性がある車輌が必要と認められた。

また補給部隊でも、物資や弾薬、そして兵員を前線まで迅速に、しかも確実に輸送可能な車輛が必要とされており、この場合にも戦場や不整地での高い走行性能が求められたが、しかしその後、長年にわたり具体的な開発の進展は見られなかった。

その後(1920年代半ば頃以降)、特に組織だった正規の行動はない中で、米陸軍武器科(United States Army Ordnance Corps、武器局とも)の技術委員会や個別の開発者(個人及び企業)等による市販トラックやT型フォードの改造実験が試みられた。残念ながらT型フォードの改造車ではエンジン出力が不足して不整地走行には向かなかったが、課題の幾つかは整理がついてきた。悪路走破の為に特殊なタイヤを付けることや、要求仕様にある程度の牽引力を得る点などが盛り込まれたのだ。

やがて(1930年代前半から半ばになると)こうした改造車輛による実験や審査は徐々に成果を収め、軍がどの様な車輛を必要としているのかを具体的な要求仕様の形にする事が可能となってきた。

例えばこの当時、歩兵審議会は偵察車輛の理想的な仕様というものを提示したが、その内容には高さが910mm以下で重さは340~453kgという制限があり、水陸両用作戦に投入可能で輸送用トラックと同等の不整地走行性能と登坂力が要望され、乗員2名に加えて一体式あるいは着脱式の7.7mm機関銃と弾薬3,000発を積載する能力が求められていた。

1937年には軍内部の個人的な開発行為として、ロバート・G・ハウイー大尉とメルビン・C・ワイリー軍曹のチームによるマシンガン・キャリアー(機銃搭載/運搬軽車輌)が完成した。これは最高速度が時速45km、重量は460kgで軸間距離は1,905mmというもので、乗員は2名、ブローニングの7.7mm機関銃が前部に取り付けられており、1,500発の弾薬を積むことが出来た。但し、全輪駆動ではなかったとされる。

このマシンガン・キャリアーが歩兵審議会において評価を受けるが、賛否両論となる。車高が低くて標的となり難く、不整地の走破能力も比較的良好だったが、航続距離が短く、また時々、悪路では最低地上高が低過ぎて路面が閊えて走行が不能となるという代物であった。だがその後も試験走行が繰り返されて、同種の車両開発の為の試金石となる。

またこの頃、小型偵察車輌の開発とは直接の関係性はないが、1938年以降にマーモン・ヘリントン社が全輪駆動方式に改造した積載重量0.5tクラスのトラックを軍部へと納入開始するが、このクルマが全輪もしくは4輪駆動の優位性を完璧に陸軍に認めさせたと云われている。

※マーモン・ヘリントン社は、“フォードLD-Ⅰ”型0.5tトラックを全輪駆動方式に改造して米陸軍に納車した。1939年以降はネタ車がダッジ社製に替わるこのクルマは、当時の米陸軍が標準的汎用車に求めていた性能の多くをクリアしていたが、偵察用車輛として使用するには大きく重過ぎたし、その速度も不充分であると考えられた。だがこのタイプの車輌の流れが、1941年以後の有名な“ダッジWCシリーズの中小型軍用車両に引き継がれていく。

1940年3月、ウイリス・オーバーランド社(以下、ウィリス社)社長のジョセフ・W・フレイザーと同社の技術主任のデルマー・ルースが、陸軍の依頼で前述のハウイー大尉/ワイリー軍曹のマシンガン・キャリアーに関しての調査と助言を行い、同社はこの種の車輌に関する知見を得る。

1940年6月には、小型偵察車両の開発に供する試作車としてバンタム社製の車両を調達(購入)する様にとの要望(推薦)とその際の具体的な仕様内容が軍幹部(陸軍参謀本部)に提出された。これは、1938年にバンタム社からベンシルベニア州軍に貸し出された同社の車両が、偵察車輛として有効なことを歩兵審議会と騎兵審議会の担当将校が認め、その後、当該の仕様に関して打ち合わせを経た結果の行動であった。

輸送車輌の開発を担当する米陸軍需品科(United States Army Quartermaster Corps)もこの提案に賛成し、陸軍参謀本部の指示で小型偵察車開発(小)委員会が当該の仕様を詳しく検討、またバンタム社の(開発・生産能力等の)状況調査を実施した。

1940年6月22日、同(小)委員会が答申した仕様に関する内容は、全輪駆動、二段変速の副変速機を有し、7.7mm機関銃を搭載、長方形のボディ形状で析畳み式風防を装備、三個の析畳み式椅子、燈火管制式ライトを持つと云うものであった。また重量・寸法と速度に関しては、重量が約544kg以内、軸間距離と全高が各々1,905mmと915mm以内、最高速度が時速80kmとなっていたが、7月1日には、許容重量が約578kg(異説あり)に引き上げられ、軸間距離と全高も2,030mmと1,016mm以内に変更された。

 次のページへ》  

《広告》

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。