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【江戸時代を学ぶ】 「寺子屋」の実態 第2回 〈25JKI00〉

また中世以前に作られた“古往来”と言われる「往来物」の多くは、もともとは貴族・僧侶の子弟が手紙を書く方法を学ぶ為の手本として編まれた往復書簡集(模範文例集)であり、往復一対の手紙文の往き来きの意味から転じて「~往来」という呼称が定まったとされるが、近世・江戸時代に入ると手紙文例・書簡集の体裁をとらない形式の読み物型の初歩的な教科書として、例えば教訓文集や法令文を集めたものなども含めて広く「往来物」または「往来本」と呼ぶようになっていった。

※『明衡往来(めいこうおうらい)』は、平安後期に成立したとされ、現存の「往来物」では最古とされる。藤原明衡 (ふじわらのあきひら)の 著作とされるが、具体的な成立年は未詳。内容は漢文で書かれた男子用の書簡文例集である。

※『庭訓往来(ていきんおうらい)』とは、1ヶ月に往返2通毎と「八月十三日状」を加えた年間25通からなり、衣・食・住から職業に関して、また武具や仏教についてなど、豊富な知識・語彙が記載されている。江戸時代を通して、南北朝時代の僧侶玄恵法印(『太平記』の編集にも関係したといわれる)の著作であるとされていたが、現在では疑問視されている。

※南北朝時代以降、茶会席に関する『喫茶往来』、地理に重点を置く『十三湊往来(とさみなとおうらい)』や『富山之記』、歴史を扱った『富士野往来』等といった様に、対象を特定の分野に限定した「往来物」が出現する。

その後、江戸時代中期からは非常に多種多様のものが刊行され広く全国に普及した。それらには、往復書簡・手紙文などのを集めたもの(「消息」類)、事物・日常用語・各種の語彙をテーマ毎に列記したもの(「名寄」類)や、地理・地誌・産業関係に歴史などの文科系や「算用(さんよう)」などの理数系の教科書、そして教訓話や道徳的な規範集などと広範にわたる「往来物」があった。またこの普及には出版技術の向上も寄与したとされるが、徳川幕府の平和な治世下、その文書主義に加えて産業・経済活動の発展や交通の発達によって庶民の文化度が向上し、以前よりも幅広い知識が要求された為でもあろう。

しかも中世に誕生した「往来物」は主に漢文・候文体であったが、江戸期も半ば以降の「往来物」には、庶民にも親しみ易い仮名交りのタイプや韻文・散文体のものなども多く刊行されて、その普及に拍車をかけたとされる。

※「消息」とは状況や用件などを手紙などで知らせることだが、ここではその手紙や連絡そのもののこと。一般に古文書学では主として仮名文字で既述されたものをいう。

※「往来物」に関しては、十辺舎一九や曲亭馬琴とか式亭三馬などの江戸時代の有名な人気戯作者が隠れベストセラーであった「往来物」で一儲けしようと狙って、多数の著作を生み出した。

『商売往来』

ところで既に述べた様に、読み・書き修得の為の「手習い」に加えて、手紙・書簡の作成法などに日常生活における礼儀作法や冠婚葬祭に関する儀礼方法、法律・公文書に関する理解、更に全国凡その地理や生活・産業の様子などと共に、何と言っても職業別に有意義で専門的なノウハウを、「往来物」等を活用しながら、生徒の家業や希望する職種・業種別に学んでいくのが「寺子屋」の重要な教育内容であった。

例えば、農民の子供の場合は『百姓往来』や『農業往来』・『田舎往来』等を使用し、漁師や船頭の子であれば『浜辺小児教授』・『船方往来』など。商家の息子の場合は『商売往来』・『問屋往来』・『呉服往来』・『万祥廻船往来』等を、また大工職人などが希望ならば『番匠往来』や『百工往来』とか『大工注文往来』が教材となったのである。

また全国各地域の地理や風物・物産などを盛り込んだ『日本国尽』・『都名所往来』・『浪花往来』・『中仙道往来』・『東海道往来』・『都路往来』といったものや、書簡文例集の『風月往来』・『大全一筆啓上』・『婦人手紙之文言』などがあった。

更に教訓的「往来物」も多いが、これらは近世封建社会における庶民道徳の基本を内容とするものであり、ここにも「寺子屋」教育の特色が見られる。

尚、「往来物」には色々なタイプが存在したが、何も「寺子屋」での教材としてばかり使われるのではなく、広く庶民に利用されたものも多かった。例えば『江戸往来』は、寛文9年(1669年)に初めて出版されて明治初期までに70回も再版さた江戸の大ヒット・ガイドブックだった。内容は、「陽春之慶賀珍重々々、富貴万福幸甚々々」と新年状の形で始まり、正月の江戸城の登城風景や儀式の様子、江戸城を中心とした東西南北各地域の地名、江戸の様々な名産品に各種の江戸自慢が書かれていて、最後は「免傳多久(めでたく)、穴賢(あなかしこ)」で終わる。但し、多く再版されたにも関わらず一度も加筆修正が行われておらず、後期の版には誤記や不充分な記述が多かったとされる。この為か、注釈本には「(この場所は)今となっては(何処なのか)判らず」と書かれていたりもする。

一説には、平安時代後期から明治期までの約900年間に約7,000種超(内1,000種以上が女子を対象としたもの)の「往来物」が刊行された云われるが、各種写本を含めると数万点を数えることはほぼ間違いなく、あまりに多数の為に、本稿ではごく一部の紹介に止めたことをご了解頂きたいと思う。

※『商売往来』は堀流水軒の著作で、元禄7年(1694年)の成立とされる。往復書簡の形式をとりながら、商売で必要な知識・語彙を習得させるのが目的であった。後には、それぞれの用語に挿絵を添えたもの(絵抄という)や、語彙に解説を加えたものなども刊行された。各種の「往来物」の中でも先駆的な立場にあり、他の多くの「往来物」の編集方法や内容に影響を与えたと云われる。

※川柳に「名頭と江戸方角と村の名と商売往来これでたくさん」というものがある。当然、そこにはある種の皮肉が込められてはいるが、その実、まさに江戸近郊に在住の子供であれば、この程度を学んでおれば充分生きていけたのだろう・・・。

※『浜辺小児教授(はまひさししょうにおしえぐさ)』は、安政5年(1858年)に作られた九十九里の漁師子弟の為に書かれた「往来物」で、 地元の「寺子屋」の師匠・今井経山の著作とされる。だがこの書物などは、実学書と云うよりは生徒の両親も含めた大人も対象とした啓蒙書の様な内容であり、親たちへの忠告として身の程を越えた遊楽や贅沢を戒めた言葉を書き連ねてある。

※幕末には世界地図を載せた「往来物」などもあり、ペリー艦隊の来航以来、開国への危機感が動機となってか「寺子屋」の入門者が増えたと云われる。

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