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【江戸時代を学ぶ】 「寺子屋」の実態 第3回 〈25JKI00〉

さて一般的な「寺子屋」においては学年が進むと男女の教室は別になったが、具体的な女子教育には、男子と同じ初等教育の仮名文字と数字、そして『名頭』・『国尽』などから『年中行事』・『女消息往来』・『女商売往来』などを学び、更に希望により高等科へと進むと『女今川』・『女大学』・『女庭訓往来』や更に『百人一首』や『源氏物語』などが教材として使われた。

特に女子の場合は仮名文字中心の漢字仮名交じり文で、女性らしい柔らかな文章の書き方や文筆を通じて行儀作法や和歌の詠み方などを学ぶことに重点が置かれたともされ、実際には文字の習得に関しては仮名文字のみで、漢字にはいささかも関わらない者もいたとされている。

女子向けを意識した教材には、例えば自身も「寺子屋」の師匠を兼業していたとされる曲亭(滝沢)馬琴が寛政12年(1800年)に刊行した『国尽女文章』などの様に、女の子の興味・関心を引く“御姫様の婚礼話”などを盛り込んだり、挿絵がふんだんに配された「往来本」も次第に登場していった。

※曲亭馬琴(きょくてい ばきん)とは、明和4年(1767年)に生まれ嘉永元年(1848年)に亡くなった江戸時代後期の読本作家である。本名は滝沢興邦(瀧澤興邦)と言い、父親は旗本の用人で家は武士の家系であった。代表作には『椿説弓張月』や『南総里見八犬伝』がある。また一時期、「寺子屋」の師匠をしていたとされている。

ここで式亭三馬の滑稽本『浮世風呂』からある女の子の一日の様子を紹介すると、早朝、一旦「寺子屋」に通い自分の机を並べてから三味線の師匠の処へ向かい朝稽古をつけてもらう。その後、自宅に戻って朝食をとってから次は踊りの稽古へ行く。それが済むとようやく「寺子屋」に行って午後2時まで就学。そして帰宅してから銭湯に寄って、それから今度は琴の師匠のもとへ向かう。そこから帰って三味線や踊りの復習をしてからようやく少しばかり遊んで、日が暮れてからは琴の稽古をするという日課が描かれている。

これはあくまで物語の中の出来事だからデフォルメされている部分があるだろうし、そのままは鵜呑みには出来ないが、概ね当時の庶民の親(特に母親)の教育熱と女子たちのハードスケジュールが窺い知れるというもの。また、現代から見てもこの母親の教育ママぶりは半端じゃないと感じられるが、現実には(平均的とは言わないまでも)とりわけてこの家が物凄い金持ちでもなかっただろうと推測可能なことが、本当に凄い!? ことなのだ。

※式亭三馬(しきてい さんば, 1776年 ~ 1822年)は江戸後期の戯作者で浮世絵師。代表作には江戸の社交場・銭湯や髪結床での人々の会話や様子をおもしろく活写した『浮世風呂』や『浮世床』がある。

※ちなみに『浮世風呂』には、子供が「お父(とっ)つぁんがね、あのう、今日はご褒美にお弁当にしておやりよ」と言ったとして、母親に弁当を持たせて欲しいと催促する場面が有るが、子供たちは「寺子屋」に弁当を持っていくことが好きだったらしい。

さて、前回の第2回に登場した上州原之郷村の『九十九庵』では、船津伊八の妹のなほが弘化5年(1848年)正月に9歳にして入門、『名頭字』や『村名』・『国尽』を学んだ後、雅文体の『年中行事』と女子専用の道徳書である『女今川』を14歳頃までに学習したという。

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