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【江戸時代を学ぶ】 「寺子屋」の実態 第3回 〈25JKI00〉

ところで女子生徒の増加と共に注目すべき点は、女性の師匠の出現と活躍である。女子「寺子」の増加時期と同じくして女性の「寺子屋」教師が誕生・増加していく。だが、女性の生徒や師匠の増加は都市部において著しい現象であり、地方や農・漁村部では極めて少数か皆無の状況であった。つまり女性師匠が活躍し得た場所は大都市の人口密集地帯であり、また生徒の状況も同様で例えば江戸であれば日本橋・赤坂・本郷などの地域では、男子よりも女子の修学数の方が多かったという記録さえもあるのだ。

女性の師匠には、通常は武士階級の出身者か武家・公家屋敷勤めなどの経験がある教養の高い婦人があたるのが普通であったが、彼女らの中には軽輩の武士(幕府の御家人や下級藩士など)の妻などもいたし、幕末期になると町人の娘ながらに評判の高い「寺子屋」で研鑽を積んで後に独立して師匠となった女性なども存在した。また父娘・夫婦・兄妹で師匠となった場合も多くあり、特定の女子向け教育には女性の教師(例えば裁縫に関しては師匠の妻が担当するなど)が活躍した。即ち「手習い」だけではなく芸事も併せて受けられるので、女性師匠たちの「寺子屋」は江戸の教育ママたちの期待に効率よく応えられたのであろうと考えられる。

こうして江戸時代の後期になると、都市部の「寺子屋」の師匠(「手習師」と呼ばれた)の3人~4人に1人が女性だったとの説もある位で、すなわち「寺子屋」経営の業界では現在の様な男女平等・雇用機会均等の社会が罷り通っていたのである。その為に「寺子屋」の経営者や師匠となることは、庶民も含めた女性の社会進出の手段となり方向性を与えるものでもあった。更に芸事塾の場合はその対象とする芸事の性格から女性師匠の比率が高かったことから、当時としては女性が自立できる数少ない職業の一つが「寺子屋」や芸事を教える家塾の師匠だったことは間違いのない事実である。

※この点について明治6年に東京府が行った調査では、幕末期の「寺子屋」の経営者を兼ねた師匠の9%(異説には11%近く)が女性であり、また雇われ師匠の7%が女性だったと云う(師匠全体の約8%が女性となる)。

※「寺子屋」での算盤授業以外の和算塾も栄えていたが、和算を学びに入門するの主に大人であり、師匠には女性の算師もいた様である。

『日本教育史資料』などによれば、幕末期の女性経営者による「寺子屋」においては、複数の師匠が在籍していたところも多く男性の師匠を雇用している「寺子屋」もあった。こうして男子向けも含めた多くの教科をカバーしていたのであるが、女性師匠独りの小規模な「寺子屋」での教科内容は、ほとんどが「手習い」(習字)中心であった。また女性経営者の「寺子屋」では女子生徒の比率が高く、女性師匠は主と して女子生徒を対象に開校していた傾向が強いとみられる。

同資料によれば、女性師匠の中で武士階級の出身者が21.9%であったが、平民(商・工・雑業・借地借家人等出身の者を含む)が75.8%であり、つまり3/4以上が平民と見做される者たちであった。また女性「寺子屋」経営者の全国的な状況は、30%近くが武士階級の出身者で平民は56.8%であるが、特に江戸(東京)地区に限ると女性経営者の69.8%が平民であったことにも留意するべきであろう。

更に明治5年当時の女性「寺子屋」主宰者の年齢は最年少で16歳、最高齢が71歳であったが、主に20歳代から50歳代の経営者/師匠が多かったとされる。

※『日本教育史資料』とは、明治23年から同25年にかけて文部省から刊行されたもので、同省が明治16年、各府県に達し学制頒布以前の学事に関する事項についての調査を実施し、それを編集したものである。調査開始が廃藩置県後10年余を経ている為に基本的な資料が散逸してしまったり、一部に調査が行き届かない地域や分野があったりしていて正確性を欠く部分があることは否めないが、江戸時代の中・後期から明治初年にかけての庶民の初等教育機関の状況について全国的に網羅出来る貴重な史料として、我国の近世における教育の実態を研究する上でこれを避けて通ることは出来ない資料である。

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