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【漢詩の愉しみ】 江南春(江南春絶句) 杜牧 〈3817JKI11〉

思い返せば高校2年生の1学期、季節は春、4月か5月の前半にかけての頃、古典「漢文」の授業で初めて接したのが、本稿のお題である杜牧の七言絶句『江南春』でした‥‥。

この漢詩の内容と現実の時期とのシンクロ効果は絶大で、今でもあの時の明るい春の日差しに溢れた学校の教室での、新たな学年の始まりへの期待感と華やいだ雰囲気を思い出します!!

 

江南春(江南の春)

千里鶯啼緑映紅 (千里鶯啼いて 緑紅に映ず)
水村山郭酒旗風 (水村山郭 酒旗の風)
南朝四百八十寺 (南朝 四百八十寺)
多少楼台煙雨中 (多少の楼台 煙雨の中)

 

通訳と解説

解り易く現代語に訳すと

「(江南の春は)千里一体に広がる広大な土地のあちらこちらで鶯が鳴き、木々の緑が紅色の花に映えています。そして周辺の水辺の村や山沿いの集落には酒屋のノボリ旗が(春風に)たなびいているのが見えます。南朝時代以来(もしくは南朝の頃は)、この付近には四百八十(たくさん)の寺々が建ち並び、(今でも)その多くの寺(の楼台)が春雨の煙る中に佇んでいます。」

となります。

 

『江南春は、中国・江南地方の春の景色を詠んだ、古くから親しまれている漢詩・七言絶句(その為、『江南春絶句』とも)で、平韻一韻到底・仄起式で、詩吟でもよく吟じられる漢詩です。

語句解説:【千里】見渡す限りの広大な土地。【緑映紅】草木の新緑が紅の花に照り映えるよ様子。【水村】水辺・水際の村のこと。【山郭】「郭」は村や町の囲いのことだが、この場合の山郭は山の中、もしくは山沿いの村・町を表す。【酒旗】酒屋が目印として掲げる旗・ノボリ旗。【南朝】朝とは漢民族四王朝(宋・斉・梁・陳)の総称。宋が西暦420年~479年、斉が479年~502年、梁が502年~557年、最後の陳が557年~589年にわたり王権を樹立、何れも建康(南京)を首都として仏教が栄えました。【四百八十寺】古都金陵周辺には、南朝以来の仏教寺院が数多くあったことを示しています。平仄の都合から「十」を「シン」と読み、日本でも同様に読み慣わしています。【多少】数多くあることを表し、無数にある様。楼台】高い建物のこと、ここでは寺の堂塔を指す。【煙雨】煙る様に降る霧雨の様子だが、やわらかな小雨とも。

この漢詩は七言絶句ですので、1句目と偶数句(2句目・4句目)の最後の漢字に韻を踏んだもの(押韻を充てています。春の景色を見事に歌った漢詩で、1句目では鶯が鳴き、新緑と紅花の色のコントラストの美しさを表現、2句目では山間の村々にのどかな春風が吹いている情景を描き、3区目と4句目では春雨の中に建つ古い寺院のたたずまいが詠まれています

尚、江南地方の春は雨の日が多いとされますが、結句に至って煙雨の中の景色であることが明らかになります。現代では同地には菜の花畑が多く、その景観は黄一色に染まるとされます。

※江南とは、中国・長江下流の江蘇・安徽・淅江の三省に及ぶ豊かな農耕地帯のことです。古くから「蘇杭熟すれば天下足る」と言われました。

 

中国・江南地方の雄大な風景を描写しながら、春季の季節感を巧みに詠み込んでいる名詩です。その様子は、中国の江南地方のみならず我国を含めた東アジアのどの地域にも普遍的に存在し得る景観と云えるでしょう。また極めて視覚的技法を用い絵画的な表現により、読み手に一詩完結の小天地といった感じを上手く与えています。

詩という文学作品とするよりは、一幅の絵画といったほうが適切かも知れない作品であり、そして様々な絵画の中でも風景画に属するタイプです。物語性を排したその描写手法には、特別な人物や事柄も登場せず、ましてや不必要に作者の主観が顔を出すような事もなく、外連味がないと云うか、徹底した客観的な風景描写で貫かれているのです。

 

作者について

作者の杜牧(とぼく)は、803年(貞元19年)に生まれ、853年(大中6年)に亡くなった中国、晩唐期の詩人で、兆府万年県(陝西省西安市)出身。字は牧之、号は樊川といいます。京兆の名門の出身で、828年に25歳で進士に及第、その後、官吏として各地を転々としながら最後(849年)には吏部の副長官となります。そして850年には、自ら望んで湖州の勅史となりました。その年、病に倒れ853年に没しました。その家族には、祖父に中唐の歴史家として著名な杜佑、また彼の庶子とされている詩人の杜荀鶴がいます。

詩人としては晩唐の繊細な技巧的風潮を排して、平明で豪放な詩を多く作りました。風流詩と詠史、そして時事諷詠を得意とした詩人で、歴史的な名所や神秘的な情景を描いた繊細で叙情的な絶句に優れた作品が多くありますが、他に賦や古典散文にも長けていたとされます。また、杜甫の“老杜”に対し“小杜”と呼ばれ、また同時代の李商隠と共に“晩唐の李杜”とも称されています。そんな彼は、李白や韓愈・柳宗元から影響を受けたとされています。

※23歳の時に「阿房宮の賦(あぼうきゅうのふ)」を発表、その才能が世に知れ渡ったとされます。

 

この漢詩は、起句で「千里鶯鳴いて‥」と雄大に始まり、そして高所から俯瞰してみた山沿いの村の様子、次いでその村にある居酒屋とそこに立つ旗といった順に、段々と視点がクローズアップされていきます。またこの前半部分では、晴天の下に広がる明るくのどかな農村風景を描いている様ですが、後半部分になると一転、春雨の煙る中に寺院の楼台が浮かぶ幽玄な世界へと情景の描写は変化していくという、独特の味わいを持つ印象深い結びで終ります

この後半部分の転換は一見すると統一性のない構成に感じられますが、「江南の春」という主題(テーマ)に沿った、中国・江南地方の春季における様々な風景を描くという目的を目指した詩であるとすれば、やや唐突に思える観察対象の変更と天候が急変する様子には決して矛盾はないと云えるでしょう。更に後半の描写によって、杜牧の活躍した時代から遡ること凡そ300年、江南の地に栄えた南朝の歴代王朝を偲ぶ気持ちがしみじみと感じられ、貴族的な仏教文化の隆盛を現出させた南朝の諸王朝が後年の唐代の文化人にとって一種の憧れの存在であったことが、この漢詩からは窺い知れるのです。

-終-

【参考】「江南春絶句」を踏まえた俳句に、 服部嵐雪の「鯊(はぜ)釣るや水村山郭酒旗の風」があります。但し、この句の描く季節は秋(季語=鯊釣る)とされます。尚、服部嵐雪(1654年~1707年)は、下級武士でありながら芭蕉に師事した俳人で、蕉門高弟で最古参の一人。雪門の祖でもあります。

 

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