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【Jazz フェイバリット・ピアニスト、名盤この1枚】 その〈8〉ボビー・ティモンズ/Bobby Timmons

ボビー・ティモンズ/Bobby Timmonsことロバート・ヘンリー・ティモンズ/Robert Henry Timmonsは、 1935年12月19日に米国ペンシルバニア州フィラデルフィアで牧師の息子として生まれました。幼少期より教会音楽(ゴスペル)に接していたティモンズは6歳の頃からピアノに親しみ、叔父から音楽の手ほどきを受けた後にフィラデルフィア音楽院でより高度な楽典を学び、その後、ザ・トレニアーズ/The Treniers(R&Bやジャンプ・ブルースのバンド)でリズム&ブルースを演奏しました。

1956年には、ケニー・ドーハムが率いるジャズ・プロフェッツのメンバーとなり、ドーハムやJ.R.モンテローズらと共に活動します。そして1958年からはアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに参加しますが、そこでは作曲も行ない、彼が生み出した大ヒット曲『モーニン/Moanin’』には、所謂、黒人教会の司祭と信徒による「コール・アンド・レスポンス」スタイルが取り入れられており(ベニー・ゴルソンのアイディアとも)、ファンキー・ジャズの代表曲となりました。

ちなみにこの時期のジャズ・メッセンジャーズのメンバーは、リーダー(同じペンシルベニア州のピッツバーグ出身)のブレイキーを除いて全員がフィラルフィア出身者で固められていました。

ティモンズのジャズ・メッセンジャーズ在籍期間は1958年~1959年および1961年であり、1959年から1960年まではキャノンボール・アダレイ・クインテットと共演していますが、その後は再びブレーキーの許に復帰しました。

またこの頃から1960年代の半ばにかけては自身のトリオを率いて活躍、複数の録音盤を残しています。また他者のリーダー作にもサイドマンとして数多く参加しましたが、1974年3月、腎臓病の為、肝硬変で38歳の短い人生を終えてしまいます。

メリハリの効いた打鍵と迫力あるブロック・コードを活用して、ファンキー色の強い曲で大活躍したティモンズですが、作曲面での貢献(『モーニン/Moanin’』や『ダット・デア/Dat Dere』、『ジス・ヒア/This Here』etc.)も含めてソウル・ジャズの盛隆に寄与しました。そのフレージングは、ブルースやゴスペル寄りであり、レス・マッキャンやラムゼイ・ルイスに大きな影響を与えたとされています。

この人のおススメ盤としてはトリオ編成のBN録音『ジス・ヒア/This Here』を挙げます。このアルバムはティモンズのの初リーダー作ですが、『モーニン/Moanin’』や『ダット・デア/Dat Dere』、そして『ジス・ヒア/This Here』と云ったヒット曲も含んでおり、彼の魅力が余すことなく盛り込まれている秀作です。尚、彼をサポートするサム・ジョーンズ/Sam Jones(b)とジミー・コブ/Jimmy Cobb(ds)も好演を繰り広げています。特にブルージーな『枯葉』が有名。

他には、ヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤『イン・パーソン/In Person』(1961年録音)が佳く、ライヴらしいノリの良さが光るトリオ盤で、メンバーは、ロン・カーター/Ron Carter(b)とアル・ヒース/Albert Heath (ds)でし。また『ザ・ソウル・マン!/THE SOUL MAN』(PRESTIGE)は、ジャズ・メッセンジャーズ時代の盟友ウェイン・ショーター(ts)を全面的にフィーチャーした1966年の録音アルバムで、ショーターの演奏に触発されたティモンズを始めとする各メンバーのグルービィーなプレイが楽しめる逸品です。

ファンキー・ムーブメントの立役者のひとりと云われる彼の、そのアーシーでブルージーな楽想には、間違いなくブルースやゴスペルの影響が強いと思われます。リズムに対して必要以上に粘りをみせながら乗っていくその演奏スタイルは独特のものであり、まさしくブラック・フィーリング満点の魅力だったのです!

〈了〉

 

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