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【Jazz フェイバリット・ピアニスト、名盤この1枚】 その〈9〉フィニアス・ニューボーン・ジュニア/Phineas Newborn Jr 〈JKI00〉

フィニアス・ニューボーン・ジュニア/Phineas Newborn Jr.は、1931年12月14日に米国テネシー州ホワイトビルで生まれました。彼の父親のフィニアス・ニューボーン・シニアは、ブルースバンドのドラマーでしたが、この為、彼はブルース・ミュージシャンとしてその音楽経歴をスタートします。

やがて父親が率いるブルースバンドに弟でギタリストのカルヴィン・ニューボーン/Calvin Newborと共に加入し、B.B.キングのデビューアルバムの録音にも参加しています。そして兵役除隊後の1956年にミューヨークに赴き、カルテットを組んでアトランティック・レーベルに初リーダーアルバムを録音を残しました。

1958年11月には、ロイ・へインズ/Roy Haynesのリーダー作である『ウィ・スリー//We Three』の吹き込みに参加、この作品はニューボーンにとっても代表作となり、この時期の彼はポスト、アート・テイタムの一番手と評されていました。

しかし1960年代に入ると精神障害とアルコール中毒で入退院を余儀なくされ、また演奏に影響を及ぼす手の怪我を負ってしまいます。こうしてニューボーンの音楽キャリアは、1960年代中期から1970年代の半ばまでの期間、継続的な健康問題によって途切れ、その姿はジャズ界から消え去ってしまいます。

しかしその後、1970年代後半から1980年代にかけての一時期、奇跡的にカムバックを果たしパブロ、エマーシーなどに作品を残しましたが、1989年5月26に亡くなりました。

フィニアス・ニューボーン・ジュニアは、アート・テイタムの様な流麗なフレージングと天才的な超絶技巧で名演を残しましたが、如何せん、その活動期間が短いことから「不遇の天才」であり「薄幸のピアニスト」と云われた彼が残したアルバムは少なく、その為、今一つ知名度も人気も低いものとなりました。

しかし、多くの共演者やジャズ評論家からは極めて高い評価を受け続け、一部に熱烈なファンを持っています。レナード・フェザーはニューボーンの「全盛期は、史上最高のジャズピアニストの一人だった」と述べていますし、オスカー・ピーターソンは「私の跡を継ぐものとして、最高のオールラウンドなピアニストを選択しなければならなかったとしたら…私はフィニアス・ニューボーン・ジュニアを選ぶ」と言いました。

さてこの人の代表的名盤には、『ヒア・イズ・フィニアス/Here Is Phineas』を選びました。圧倒的テクニックを誇った鬼才フィニアスの初リーダー作品です。両手を縦横無尽に使いこなす絶頂技巧を駆使した彼の演奏は、全盛期のバド・パウエルにも劣らない迫力であり、そのパフォーマンスを聴いた者は皆、一様に驚かされました。1956年5月3日の録音で共演メンバーは、ギターに弟のカルヴィン・ニューボーン/Calvin Newborn、ベースがオスカー・ペティフォード/Oscar Pettiford、ドラムがケニー・クラーク/Kenny Clarkeとなっています。

他には、ドラマーのロイ・ヘインズ/Roy Haynes名義の『ウィ・スリー//We Three』(New Jazz、1958年録音)の評価が高く、ちなみにこのアルバムではベースはポール・チェンバース/Paul Chambers が担当しています。また『A World of Piano!』や『The Great Jazz Piano』なども佳品であり、更にキャリア末期の1987年にエマーシーへ録音した『サムシング・トゥ・セイ/I’ve Something to Say』などでも技巧派として充分に健在ぶりを示しています。

フィニアス・ニューボーン・ジュニアは、その活動期間は短いながらも、米国モダンジャズ史上において燦然と輝く技巧派ピアニストのひとりであり、絶対に欠かせぬ存在であったと考えられます!

〈了〉

 
 

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