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【歴史小研究】「様」と「殿」の狭間で‥。 〈JKI11〉

皆さんは、敬称として使われる「様」と「殿」の使い方の違いをご存知ですよね。現代語では「様」は目上、目下の区別なく広く使える敬称であり、その使用されるケースも公的な場合に限らず日常的な私文書にも使われる言葉です。これに対して「殿」は一般的に目上から目下に向けて使う言葉とされ、相手が目上である場合には「殿」を使うのは好ましくないとされています。

歴史を紐解くと「殿」は元来地名などに紐付いて、その地にある館や屋敷、邸宅等を意味する言葉として用いられていましたが、転じてそこに住む人物の尊称を表すようになりました。後年になると、書状・手紙文などで用いられる人名や官職に付す敬称となりますが、当初は摂政・関白などの非常に高位の人に対して使われたとされ、その後になり、高貴な人だけではなく、次第に一般的な対象者にも用いられる敬称となった様です。

一方、「様」は「殿」の敬意の低下にともなって、室町時代ごろから新たに高い敬意を表す敬称として使われるようになりました。江戸時代初期のポルトガル人のイエズス会士でカトリック教会の司祭でもあったジョアン・ツズ・ロドリゲス/João “Tçuzu” Rodriguesが著した日本語学書『ロドリゲス日本大文典』では、その頃に使用されていた「様」、「公」、「殿」、「老」の4種類を比較していますが、その中で最も敬意の高いものは「様」であり、以下「公」、「殿」、そして「老」の順であったと記しています。尚、ここでの「老」は、主に高僧に対して用いられていた敬称でしたが、後年、一般的には年長者に対しての敬意を表す敬称となりましたが、現代では使われることがなくなりました。

こうして室町以降、江戸時代においては、「様」が自らよりも上位者に対する敬称として使われ、「殿」が同格若しくは格下の相手に使用する敬称であったことが分かっていますが、時代が経つにつれてその用法に誤用や作為的な変更が見られるようになり、例えば『守山御日記』(水戸藩の支藩である守山藩の江戸藩邸の記録)の貞享元年(1684年)の項には、足軽以下の身分の低い者に対して上級者の侍には「様」を付けるようにとの指示がなされたという記録があり、加賀藩でも、元禄6年(1693年)に家格の低い相手に様付けしていることを糺す申し渡しが発給されています。更に会津藩の『家世実記』においても、享保元年(1717年)の記述には藩内における正しくは殿付けであるべき敬称が様付けとなっていることを問題視する書付が見られます。

そしてそこには、当時の下級武士階層における上下関係の乱れや必要以上の忖度による様付けの濫用に対する武家社会の危惧が垣間見えるのです。

また大名間での書状のやり取りにおいても、公文書と私文書では微妙に敬称の使い分けがみられ、意図的な工夫が感じられます。本来は厳密に両家の家格の上下を勘案して敬称を選択するべきなのですが、下位の家柄の者に対しても忖度をみせて様付けの敬称を付している書状もみられます。

しかし既にこの時代から、公文書には殿付けを使用するという定め/慣習があった様で、外様大名や旗本から(幕閣である)老中職にある者への、例えば「養子願い」などの文書においても殿付け敬称が用いられていることが多いのですが、一部には様付けのものもあり、全てが一定ではありません。

但し、逆に老中が発給する(公文書の)老中奉書などでは完全に殿付けとなっていますが、一部の老中から送られる私文書では格下の大名家宛の書状でも様付け敬称が使われている場合が残っていて、そこには老中側のコミュニケーションを円滑に図るべく気遣いをしている様子が伺えるのです‥。

この様に当時の書状に関しては、様式と文体により、差出人・宛所・日付とその趣旨が同一でありながらも公文書と私文書が書き分けられ、また区別されていたかが明確となっています。

宛名が殿付きか様付きかの違いは勿論、文末の書止の違い(例えば「恐々謹厳」か「恐惶謹厳」など)や、更には脇付の有無、本文冒頭の前置きの挨拶の有無、そして「尚々書(なおなおがき)」の有無などの相違により、その違いが読み取れるとされているのです

更に別の視点から「様」と「殿」に関して子細にみていくと、同じ「様」や「殿」でもグレードの違いがあることが解ります。

先ず「様」には幾つかの書体・字形があり、「永様(えいざま)」、「次様(つぎざま)」、「美様(びざま)」、「平様(ひらざま)」があります。「永様」は「樣」(右下が永)と書き、最大の敬意を表し、「次様」は「檨」(右下が次)と書き、「永様」の俗字体とされています。「美様」は「永樣」に次ぐ敬意を表しており、「平様」は崩された字体で目下の者に使われました。しかし現在ではこの様な区別はなく、通常の「様」を誰に対しても用いるのが一般的となっています。

次いで「殿」の書体・字形に関する優劣は、楷書で書かれた「殿」を最上として、次いで7種類の「殿」が存在していました。上位から順に「でんどの」、「宰相どの」、「ふたつかけ」、「ひとつかけ」、「ぐるどの」、「ばんどの」、「仮名どの」となっていました。またこうした順位付けは、大永8年(1528年)頃には既に存在していたようです。当然ながら「殿」に関しても、現代ではこの様に細分化して使うことはありません‥。

即ち、「様」も「殿」もその書体・字形により敬意のランクが使い分けられていて、単純に「様」が「殿」よりも上位の使い方となる、とは限らないと考えられるのです。例えば、目下の者にも「平様」であれば使用が可能だったのです。

こうして「様」と「殿」の使い分けを調べていくことで、江戸時代以前の人々が公文書と私的書状で必要に応じて宛名に付す敬称を書き分け、また細かく区別していた事が明らかになるのです!

※この原稿は以前に書き記した未発表のものですが、ほぼそのままの形で加筆修正等を施さずに投稿致しました。日本語の難しさがよく分かる内容であり、同じ敬称でも「様」や「殿」で意味合いが異なるだけでなく、しかもその中でも更に細分化されたグレードを有する書体・字形が多数存在するのですから、これは理解するのが極めて困難な超難易度の高い言語と云わざるを得ません。

※掲載の写真は、投稿の内容とは直接関係がありません。

 

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