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【歴史雑学】江戸城、殿さまたちは登城・下城時の「駆けっこ」が怖かった! 〈1647JKI37〉

大名や旗本たちは、千代田の御城へ登場する時や逆に下城する時、自らの駕籠を中心に行列を組んで移動していましたが、同格の家格を有する行列と出会うと、主君や供侍の頭・差配役が静止しても駕籠を担ぐ陸尺(ろくしゃく)たちは必ず先を争って走り出して、最悪の場合は殿さまの乗っている駕籠を放り出してしまうことすらあったそうです!(本田孫右衛門・岡谷繁実『史談会速記録』、堀秀成『下馬のおとない』、平戸藩『編年仮名御実録』など)

※この速足を競う「駆けっこ」で、宇都宮藩の戸田越前守やあの松浦静山も投げだされています。

江戸時代の半ばから後半においては、江戸城下馬先での駕籠舁(かごかき)/陸尺たちの行列レースを止めることは至難の業でした。しかも、彼らを強く叱ったり処罰すると、以後、その家にはまともな駕籠舁(かごかき)/陸尺が集まらなくなり、江戸時代も後期には完全な売り手市場だった即戦力の武家奉公人のことですから、むしろ怪我の見舞金として金一封を渡してご機嫌取りをする藩(宇都宮藩、戸田大和守)などもあった様です。

また各家とも、「顔役」とも云える経験豊富で、同じ出替わり奉公人の間でのネットワークにおいて有力なコネクション/横の繋がりを持つ者を雇い入れ、行列などがスムーズに進行することを心掛けました。

当然、行列の運用には礼儀作法があり、例えば徳川御三家のそれと出会った他家の殿さまは駕籠から降りて礼をする必要がありました。

こうした際に失礼などがあれば、何かと面倒なことに巻き込まれる可能性もありましたが、能力の高い駕籠舁/陸尺や奉公人を揃えていれば、遠方の地点でこれを視認・察知して回避、横道へと退避することが可能なのでした。即ち、各藩や旗本家の家格の上下や江戸市中の道筋に精通している者がいれば、安心して行列を進めることが出来たのです。

※勿論、原則としては藩士や用人の供頭が先行して偵察を行い、必要があれば同様の対応(回避)を指示していました。

そういった訳で、殿さまや重役たちも、あからさまに下層の中間階級の奉公人たちに対して強権の発動を行うことは控えており、一部の藩では江戸初期の様に地元の(無知だが素直な)領民を江戸藩邸に上らせて使役することもあったのです‥。

こうして殿さまも、色々と気遣いで大変だったんですよ! あ~、バカ殿、カンバック!!

〈終〉

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